アンペイドワークを考える#2 – 性別役割分担から抜け出すのは超ハードモード!それでも「女性への期待値下げ」がどんな人にも無関係ではない理由


こんにちは!篠原くるみです。
「アンペイドワーク(家事・育児などの無償労働)の分担」と「女性の経済・社会的エンパワーメント」の関係、そして、それらを取り巻く社会構造について考える、シリーズ全3回中の2回目です。
#1 では、収入格差に注目し、ジェンダーギャップの背景には「(家事や育児などの)アンペイドワークは女性がするもの」という前提が置かれていること、また、それに付随して「女性は賃金労働を(そこまで)しなくてよい」という「期待値下げ」があることをお伝えしました。そして、女性の経済的エンパワーへの期待値下げをするべきか?この認識を社会レベルで合わせていく必要があるという話をしました。
今回は、なぜ性別役割分担が受け継がれ続けているのか?性別役割分担を見直す必要があるのはなぜか?そして、なぜこの問題が誰にとっても無関係でないかについてお伝えしたいと思います。

性別役割分担のループ構造から抜け出すのは超ハードモード!

まず、なぜ女性が主にアンペイドワークを担うという構造ができているのか?を考えてみたいと思います。
社会制度的に女性と男性が同じ権利を持っていなかった時代(参政権などは終戦後の1946年に男女同権へ)を経て、職場における性差別を禁じる法律(男女雇用機会均等法、1985年)ができてからおよそ40年が経っています。
女性が高等教育を受けることが珍しくなくなり、セクハラ・パワハラが問題視され、産休・育休を経ても仕事を続ける女性が増えてきた現代においても、「男は仕事・女は家庭」が微妙に形を変えつつも受け継がれ続けているのはなぜでしょうか?
現在の社会ではこうなっているのではないかという観点でまとめてみます。

①:生物学的機能からスライド
出産をするのは女性です。どんなに体力のある人でも何週間かはこの命をかけるライフイベントにかかりきりになります。妊活に専念することを選ぶ人もいるでしょう。
これだけは生物学的な性によるもので、どうしても「性別役割分担」から引き剥がせない役割です。
この妊娠・出産という生物学的機能から、「その期間家にいた人がアンペイドワークをやり、その後も引き続きやる」という役割分担にスライドしがちです。

スライドした先では、次の②〜④のループが待っています。
次の②〜④は、全て「鶏が先か卵が先か」の問題(どちらが先かわからない因果性のジレンマ)であることに注目して見ていきたいと思います。

②:収入の少ない人がアンペイドワークを担うループ
退職・休職などでいったん仕事から離れると、大抵はキャリアを積み重ねてきた人と同等の条件で労働市場へ復帰することは難しくなります。世帯収入という観点で見ると、ある時点で収入の多い方がそのまま賃金労働に徹した方が合理的という判断をするケースも少なくないでしょう。
一方で、アンペイドワークを担うことが前提となっている人は、拘束時間や休みやすさ、不測の対応を避けるなど、融通を優先し報酬面やキャリアアップ面の条件を下げた仕事を選択することもありそうです。

→ 収入やキャリアの低い方がアンペイドワークをやるべき?アンペイドワークを抱えているから収入やキャリアを上げにくい?

③:アンペイドワークを担う人はそれ以外のことにチャレンジしづらいループ
アンペイドワークを多く担う人は物理的に時間がなくなるので、時間配分を崩す必要があることに踏み込みづらくなります。チャレンジができなければ、新しいことを始めにくくなるし、仕事では収入やポジションを上げることが難しくなっていきます。その結果、世帯単位で見たときに収入やキャリアの低い方がアンペイドワークを担うことになります(→②へ)。

→ アンペイドワークを抱えているからチャレンジできない?チャレンジできないから収入やポジションが上がらず、アンペイドワークを担うことが合理的になる?

④:普段アンペイドワークをやらない人がやったところでうまくできないループ
逆に、普段アンペイドワークをしない人が家事や育児をしようとしても、勝手がわからなかったり、いつもやっている人と同じようにはできないことが多いと思います。ここで、「やり方がダメ」「私がやった方が早い」などと「アンペイドワークマウント」を取られてしまったら.. 次もやろうとはなかなか思えないですね。

→ アンペイドワークをやらないからうまくできない?「マウント」を取られるのでやりづらくなって、やらない?

また、次のような影響もあるでしょう。
⑤:外部要因により与えられるイメージループ
子供たちは本当に素直なもので、絵本やテレビなど周りにあるものからのメッセージをそのまま受け取ります。特に、絵本はかなり昔から増版されているものが多く、「エプロンをつけたお母さん」「ネクタイを締めたお父さん」がアイコン的に描かれるものも多いです。誰もが知っている長寿アニメは性別役割分担が当たり前に描かれているものが多く、バラエティ番組などでは「男は/女は」というステレオタイプ自体がネタになっている企画も普通に見られます。
その一方で、最近では性別役割分担やジェンダー平等の描写に配慮したコンテンツも多くなってきてはいます(特に炎上の対象になりやすいCM)。
個別のコンテンツの是非は複雑になるのでここでは扱いませんが、見たものを素直に受け取る子供たちは、性別役割分担やジェンダーに対する固定観念を「そういうもの」だと思い、友達と共有し同調し温存します。そして、「そういうもの」と思って育った大人が、今度は制作側になり、価値観を再生産することになります。

→ 子供たちは大人の価値観を受け継ぎ、成長するとそれを発信する側になる。

このような複雑なループ構造が回り続けている社会においては、ある側面からは性別役割分担が合理的に見えることもあると思います。そして、性別役割分担を前提とする以上、ジェンダー間の経済格差・社会的格差を埋めることはかなり厳しいとお分かりいただけると思います。これは何重にも重なった複雑なループ構造で、個人のやる気や能力といったミクロな要素だけでは説明できない「社会構造」なのです。
ではこの構造、本当に合理的、あるいはあるべき姿だと思いますか?

①:生物学的機能からスライド でお伝えした通り、妊娠・出産という機能だけは、性別役割分担から切り離すことができません。
一方で、それ以外のアンペイドワーク、例えば、料理をする・掃除をする・子供を寝かしつける.. は生まれ持った生物学的な性差と結びついたものではありません。それにもかかわらず、このループ構造の中で、いつの間にか「女性がするもの」へと流れ着いています。その結果として「女性が経済力や社会的地位を得にくい」構造ができあがっていると考えることができます。

わたしは、すべての男性が女性にアンペイドワークを強引に押し付けているわけではないし、すべての女性がものすごく積極的にほとんどのアンペイドワークを買って出たいわけでもないと思っています。なのに、女性側に結びつけられるアンペイドワークがいつの間にか膨れ上がり、この役割分担が「当たり前」で「普通」で「デフォルト」になってしまっているのです。

さて、ここでこの社会構造についてまとめたのは、「性別役割分担はなくならない、ジェンダーの平等なんて無理なんだよ」と言いたいからではありません。
既存の社会構造に抗うことはなかなか難しいのですが、まずはその第一歩として敵を知ることが重要だからです。
「敵」とは、家事をやってくれないパートナーでも、わかってくれない上司でも、何もできない自分でもなく、こんな無理ゲーを強いてくる「社会構造」です。まずはこの構造を理解し、問題点を整理したうえで突破口を探り、本来の自分自身の価値観をもとに人生の選択を積み重ねていく必要があります。

なぜ性別役割分担意識を見直すべきなのか?

わたし個人としては、「男は仕事、女は家庭」という考えには反対です。少なくとも、何も考えずこのまま次世代に引き継いでいいものではないと思っています。
人生は物語ではないので、好きな人と結ばれてハッピーエンド♡ではないですね。むしろその後の期間の方が長いことが多いでしょう。パートナーの収入をあてにして生きていくことができなくなるかもしれません。
そのとき、すでにある財産は分割できますが、それまでの期間に積み上げてきたキャリアは分割できません。
ここに、性別役割分担のアンフェアさがあります。アンペイドワークに日々時間を費やすことは、この先の人生における稼得能力、その長期にわたる蓄積を手放してしまうことと同等であることに、どんな人も目を瞑ってはいけないと思います。
人生を持続可能なものにするためには、経済的な自立意識が必要です。では、あまり自立意識を持っていない女性が多いように見えるのはなぜなのか?それはまさに、期待値を下げられているからだとわたしは思います。

「配慮」という名の「排除」

ここで、③:アンペイドワークを担う人はそれ以外のことにチャレンジできないループ に戻ってみましょう。
アンペイドワークを担う人のことを第三者が見たとき、例えば、上司が子持ちの女性社員を評価するときに、「お子さんがまだ小さいから、チャレンジはできないよね/させるのはかわいそう」という視点になることがあります。このように評価者による「期待値下げ」が発生した結果、収入やポジションが上がらないという側面があると思います。(本人は、期待されていないなぁと感じてしまうと、モチベーションを維持することが難しくなってしまうでしょう。)
ある属性の持つ傾向をもとに一律に処遇することを「統計的差別」といいますが、その一例として挙げられるのが2018年に発覚した医大の女子受験生差別事件。「いま現在アンペイドワークを担っている」ではなくて、「将来的に担うかもしれない人」が、入り口の段階で排除された事例です。

ここまで組織的で悪質なケースはレアなんじゃないの?と感じる人もいるかもしれません。
では、「女の子だから」地元を出ないほうがいい。学歴はそこそこでいい。理数系の学部はやめといたら。バカなふりをした方が可愛がられる。稼がなくていい。養ってもらうことが幸せ。そんなに頑張らなくていい… こんな、女の子の可能性に蓋をするような言葉を聞いたことがありませんか?
その裏側には、いつか結婚するかも、子供を産むかも、夫を支える役割を担うかも、つまり、「アンペイドワークを抱えるという前提」があるのではないでしょうか。
「あなたのためを思って」行われる、「期待値下げ」。これは「配慮」ではなく「排除」です。

一方で、男性はどうでしょう?
何があっても一生働いて「妻子を養える大黒柱」にならないといけなくなりますね。もちろんこれでやる気になる人もいれば、プレッシャーに感じてしまう人もいると思います。それから、1日はどんな人にとっても24時間なので、アンペイドワークに関わりたくても必然的に時間がない、誰か(主に妻)にやってもらう、言葉を選ばずに言えば「アンペイドワークを誰かに押し付けてまでキャリアを積むこと」を期待されるのです。

一体誰が得しているのかすらよくわからなくなってきますが、結果として、「女の子への期待値下げ」と「男の子への過度な期待」によって、社会的・経済的成長を積極的に期待されてきた人たちと期待を下げられてきた人たちとの間における社会的・経済的格差、つまりジェンダーギャップができています。

「期待値下げ」は女の子に関わる人、つまりすべての人の問題

この問題、パートナー間の役割分担をどうするかの話し合いで完結するミクロな問題かというと、そうではありません。なぜなら、「期待値」の操作が行われた状態で育ってきたわたしたちは、その影響を受けた選択をしてしまうことがあるからです。
親や先生や上司、同僚、親戚や友達、メディア、SNS… 女の子と関わる全ての人が、無意識のうちに「期待値下げ」を行ってしまう可能性があります。
つまり、どんな人にとっても関係のない話ではなく、社会全体として考えていかなくてはならない問題です。

まずは、性別役割分担の合理性をゼロベースで見直していく必要があります。
精神論を抜きにして考えてみましょう。「女性にしかできないこと」「男性にしかできないこと」って実はほとんどないんですよね..
「向き/不向き」も、性別の傾向よりも個人の特性を考慮したほうが最適でハッピーであることが多いでしょう。
性別役割分担の範囲を必要最小限にすることで、「女性への期待値下げ」、そして、それと同時に「男性の社会的達成への過度な期待」をなくす。つまり、子供たちの可能性から性別によるバイアスをなくす。そうすることで、より個人としての適性が活かされる社会になり、結果としてジェンダーギャップは自然と埋まる方向に動くのではないでしょうか。


#2 のまとめ

  • 性別役割分担がいまだに受け継がれているのは、「女性が経済力を得にくい」社会構造ができているから。
  • 性別によって賃金労働と無償労働を切り分ける役割分担は、関係性を維持できなくなったときにキャリアを分割できない点で超アンフェア!
  • 「女性がアンペイドワークを担うこと前提の期待値下げ」は、配慮という名のもとに、女性を社会から排除している。
  • 「期待値下げ」は、パートナー間の役割分担の議論で完結するミクロな問題ではない。
  • 「期待値下げ」は、「アンペイドワークを将来的に担うかもしれない人=女の子」へも実際に向けられている。
  • 女の子と関わる全ての人が「期待値下げ」をしてしまう可能性がある。社会全体でなくしていこうという共通認識が必要。

次回は、性別役割分担の見直しについてお話ししたいと思います。
#3 「アンペイドワークはみんなのもの!女の子への期待値下げをなくすために、半径5m以内のジェンダーギャップを解消しよう」に続きます。

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