こちらの記事で企画発表会に参加させていただいたあいちトリエンナーレ。
「表現の不自由展・その後」、ネットニュースで見ない日はほぼなかったですね、、
再開されるタイミングを待っていました。
この床の飛行機のペイントも作品です!
先に言っておくと「不自由展」は当選せず見ることができませんでした。残念!
昼頃着の日帰りだったので豊田市の会場には行けなかったのですが、他の3区域の作品はほぼ見て回ることができました。
津田監督も企画発表会で「ユーザーファーストであることにこだわった」とおっしゃっていた通り、どの作品にもわかりやすい背景解説が書かれていて、アーティストがどんな気持ちで何を伝えたくて作品を生み出したのか頭に入れながら鑑賞できます。
現代アートってなんだか難しそうでちゃんと観たことがなかったのですが…
どんな作品も誰かが何かを伝えたかったり、問題提起したかったり、知って欲しかったり。その表現方法の1つとしてアートを選んでいるんですよね。
本当にどの作品も素晴らしくて、1つ1つ心に残っていますが、そのうちのいくつかを紹介します。
孤独のボキャブラリー/ウーゴ・ロンディノーネ
キービジュアルにも使われているピエロの展示。
人間が1日のなかで行うふるまいを45体のピエロで表現しています。
フォルムが本当の人間のようなんですよね〜 展示室に入ったときアルバイトの人かと思いました。
一体一体がちょっとやる気ない感じなんですよね(笑)可愛いです。
The Clothesline/モニカ・メイヤー
性差別やセクハラについて、来場者によって書かれた匿名のエピソード。
なんと40年以上前から世界各国で行われてきたプロジェクトなのだそう。
知らない誰か、でもどこかにいる誰かのリアルな体験が生々しく書かれていて、胸が痛くなります…
どんな形でも、傷ついた体験をアウトプットすることは大切だと思います。それがこうやって可視化されることで、「ジェンダー差別なんてない」と目を瞑る人が減っていくといいなと思います。
ラストワーズ/タイプトレース/dividual inc.
タイピングのプロセスをトレースできるソフトウェアによって記録された、ネットで集められた遺言がモニターで流れています。
書いて、消して、止まって、書き直して… 出来上がった文章を見るだけではわからない、執筆者の心の動きが伝わってくるようで、怖いような優しいような悲しいような複雑な気持ちになります。
1996/青木美紅
数年前に、自身が人工授精で生まれてきたと親から伝えられたアーティストが、同じく人工的に誕生したクローン羊のドリーと、障害があることを理由に不妊手術をさせられそうになった女性のルーツを巡り製作。
「人工的な生(与える/奪う)」について想いを巡らせた作品です。
一部屋を使ったインスタレーションで、南米かどこかの民族のおうちみたいな感じですごく可愛くて、ノスタルジックな感じもする不思議な空間でした。
写真がかわいく撮れませんでした…
43126/タニア・ブルゲラ
こちらも部屋全体を使ったインスタレーション。
難民の数を表すスタンプを押されて展示室に入ると、ガラスの向こうにはメンソールを充満させた空間があります。それは、社会問題を数値で見せられても何も感じない人たちを、メンソールの刺激によって強制的に泣かせるための空間(!)
すごい発想!アートってすごいなと思いました!
「輝けるこども」/弓指寛治
登校班の6人の小学生が亡くなった自動車事故をモチーフにした作品。
油絵は色使いがとても鮮やかで、生前の子供達や、授業で書いた詩や、彼らの好きだったことが文字や絵でちりばめられ、キラキラ輝いています。同時に、自動車の危険性を表現する作品もあり(怖い)、部屋を歩いていくことでストーリーをつなげていくインスタレーションです。
ちょっと感情を揺さぶられすぎて写真を撮るのを忘れました。
本当に開催地の端っこにあって… 思わずスルーするところでしたが本当に行ってよかったです。
あいちトリエンナーレとジェンダー平等
「不自由展」を見ることができなくても、十分以上に満足できるアートフェスティバルでした!
「再開しました」と多くの作品に掲示されていましたが、これはつまりほとんどの会期で見ることのできない作品が多数あったってことですよね、、本当にもったいないですね。
わたしは、傷ついたとか嫌な気持ちになったとかおかしいと思うとかの感情は、きちんと言語化したうえで、相手に伝えるなり発信するなりしたほうが絶対にいいと思っています。泣き寝入りは、ほとんどの場合その場しのぎの対応にすぎないとも思います。
なので、「不自由展」に展示された作品そのものや、モチーフや背景に不快感を感じた人が抗議をすること自体は全く問題ないと思います。
でも、脅迫はダメです、絶対。非生産的すぎます。そして過剰な業務妨害もダメです。
さて。このトリエンナーレをなぜジェンダーイコールのコラムで紹介するのか。
それは、あいちトリエンナーレの参加アーティストでジェンダー平等が達成されているからです。
これから先も、この芸術祭が話題に上がるのはほぼ「不自由展」がらみのことでしょう。「不自由展」が騒動になったとき、今回あいちトリエンナーレの取ったジェンダー平等に向けた取り組みのことがかき消されてしまった気がして残念だなと思いました。
ですが、ジェンダー平等は事実としてトリエンナーレの根幹にあります。
それが話題にならず当たり前になることが本当のゴールです。
あいちトリエンナーレの作品を見て、本当にどれも素晴らしいと思いました。特に心に残った作品のアーティストを調べてみても、ほぼ男女半々になると思います。
アファーマティブアクションによって、プロジェクトのクオリティは落ちない。それをあいちトリエンナーレでは証明しています。
残り会期ほとんどなくなってしまいましたが、あいちトリエンナーレ、ぜひ足を運んでみてください。