あいちトリエンナーレは、今夏(2019年8月1日〜10月14日)、名古屋市と豊田市の美術館およびまちなかにて実施される日本最大規模の芸術祭です。
2010年より3年おきに開催されていて、今回で4回目の開催になります。
今回、あいちトリエンナーレで芸術監督を務めるのが、ジャーナリストの津田大介さん。
テーマは、「情の時代」。
感情・情動、情報、根源的な情・情け。英語では “passion” で、情熱、受難。
「情」というワードの持つ多義性に注目しコンセプト設定したそうです。タグクラウドはこんな感じに。
さて、このあいちトリエンナーレの記者会見に、なぜわたしたちジェンダーイコールが参加したのか。
それは、今回のトリエンナーレ参加アーティストにおいて、いわゆるアファーマティブアクション・ポジティブアクションによるジェンダーの平等が達成されているからなのです。
芸術祭とジェンダーにどんな関係が?
津田さんが芸術監督として、アーティスト招聘方針にアファーマティブアクションを打ち出したきっかけ。
それは、昨年の医大女子受験生差別の問題でした。
このニュースに強い衝撃を受けた津田さんは、一連のジェンダー問題にアート業界も反応すべきではないかと感じたそうです。
後述しますが、実は、アート業界は(というか、アート業界も)かなり男性優位社会なのだそうです。
「世界中でこれだけたくさんの芸術祭が開催されているのに、なぜ、不自然に一度たりともジェンダー平等が達成されてこなかったのか?」
それは、ガラスの天井があるから、と津田さんは言い切ります。
これは放置していていい問題なのか?
女性に対してエンパワーしていくこと、アファーマティブアクションをやっていく必要があるのではないか?
そう考えた津田さんは、今回のトリエンナーレでジェンダーの平等を達成することを宣言します。
そこで、真っ先に名前が挙がったのが、メキシコのフェミニスト・アーティスト、モニカ・メイヤー氏。
ただやはり内部で、「抵抗感を持ったり敬遠する人もいるし、、トリエンナーレ自体に色がついてしまうと難しいよね」という議論になり、なかなか進まなかった。
ですが、やはり日本の人たちにアートを通じてジェンダーの問題を考えてもらいたい!とメイヤー氏の採用を決断。
その後は、テーマに合った女性作家をどんどん採用していったら自然と男女6:4くらいになっていたのだとか。
「数合わせのために無理に採用していったのではない」はとても大事で、気づいたら少しずつバランスが取れてきていて、そこから完全平等に向けたアクションを取っていったということでした。
参加アーティストの最終的な男女比は31:32。
コレクティブ(グループのアーティスト)は置いといて… と例外を作って、後から「やっぱ50:50じゃないじゃん」となりたくなかったという津田さん。並々ならぬ意気込みを感じます..!
一方で、世界的にもジェンダー平等の流れが各所で起こり始めているという背景も。
Power100という、アート業界に最も影響力のあった人物のランキングで2018年の3位は #metoo。
ハリウッドでは、50502020というアクションが打ち出され、多くの映画祭が賛同し活動が始まっているそうです。
ベネチアビエンナーレでも同様に、今年初めてジェンダーの平等をほぼ達成。
ジェンダー不均衡を解消しようとするアクションは、アート業界における世界潮流になりつつあるということでした。
アート業界におけるジェンダーギャップ
歴史的に、女性が男性と同等の権利を与えられない時代が長くあったことは事実で、それは表現のフィールドでも同じです。
知っている画家を挙げて!と言われて出てくる有名な人は、ピカソとかゴッホとかモネ、、ほぼ100%男性ですよね。
そんな歴史があって、結果的に美術館のコレクションにおける男女比に偏りがあるのは、まあ仕方がないことのように思えます。
ですが、現代アート業界においても変わらず男性優位の構造が成り立っているそうなのです。
ほとんどの国際芸術祭に採用されるアーティストは7-8割が男性。
しかも日本の美大では、新入生の7割程度が女性であるにもかかわらず(!!)
知らなかった..!
進路選択の時点から既に男女比に著しい偏りのあるSTEM領域よりもさらに根深い不平等構造が見えます。
なぜ、入り口の男女比が実社会で維持されない、それどころかむしろ逆転してしまうのか。
それは「選ぶポジションにいる人のほとんどが男性だから」だそうなのです。
例えば、美術館の学芸員は66%が女性ですが、館長は85%が男性。
東京藝大の男性教員は85%が男性(これでも以前よりは女性の比率が増えたらしい)。
教員がほとんど男性だから、持ち上げられて業界に出て行けるのも男性、それが成り立つというのも相当危険ですよね、、
ともかく、女性プレイヤーがじゅうぶんいるにもかかわらずジェンダー不均衡の構造が根付いているアート業界。
だからこそ、芸術祭そのものの質を下げることなく平等を達成することはできるし、やるべきだと、今回の決断に至ったということでした。
「認知」と「行動」
ジェンダー平等、わかりやすく言うところの「男女平等」について、どのように取り組んでいくべきなのか。
それには、以下の2ステップが必要になると思っています。
「認知」: ジェンダー不平等の現状を知り、認める
「行動」: 解消に向けて実際に行動を取る
特に強く感じるのは、初めのステップの「認知」が実はとても難しいということ。
- 先進国の日本で、差別なんてない。
- 男女に違いがあるなんて当たり前。差別じゃなくて区別でしょう。
- レディースデーとか女性専用車両もあるし、女性だって優遇されているじゃないか。
- 日本では出生選別もされないし、進学率も同程度。働こうと思えば働ける。頑張れば出世だってできるだろう。
- 差別だなんだって訴えている人は、本人の努力不足・能力不足。
- 働きたくない女性も多いんだから、平等なんて目指さなくてもいいのでは?
- なんかめんどくさそうだから距離置いとこう…
このように考えている人ってけっこう多いのではないかと思うのです。
(わたし自身も、ワーキングマザーになるまではジェンダーギャップを実感したことはほとんどなく、自分事ではなかったが故に問題視したこともありませんでした。)
だけど、世界的に見れば、日本のジェンダー平等達成度ランキングは、半分よりもはるかに下。欧米諸国はもとより、あまり女性が社会進出をしているイメージのない国、たとえば中国よりもインドよりも下であることは事実です。
そして、平等でない状態が「個人の選択」として矮小化され、結果的にどちらの性にとっても人生の自由度を下げているということも事実だと思います。
問題を問題として認識し、テーブルに乗せなければ、議論を始めることすらできません。
現状が均衡の取れた状態と考えている人に、いくらジェンダー平等の必要性を伝えても、過剰に権利を主張していると捉えられてしまう。
ここが、フェミニズム的な考えがなんだか触れてはいけないもののようにされている原因のひとつとなっているのではないでしょうか。
でも、ジェンダー平等を目指すということは、津田さんが今回取り組まれているように、不自然に偏っている状態からバランスを取るためのアクションなんです。
繰り返しになりますが、津田さんは、昨年問題となった医大の女子受験生一律減点のニュースを見て、ジャーナリストとして大きなショックを受けたそうです。
そして、ご自身の力の及ぶフィールドで問題提起し、解決に向けて具体的に行動を起こしたいと考えた末、今回の「あいちトリエンナーレ」におけるジェンダー平等を達成しようという結論に至ったということでした。
津田さんはおそらく、ジェンダー問題の直接的な当事者でも、いわゆる「フェミニスト」でもないと思います。
だからこそ、問題を「認知」してから、素早く客観的かつ多少強引な部分もありつつ有効性のある「行動」をとることができたのではないでしょうか。
こういった動きが増えていくことによって、社会は加速度的に変わっていくのではないかと感じました。
できるところから確実にジェンダーの平等が達成され、他の分野にも波及していけばいいなと思います。
あいちトリエンナーレは、”Art Lover” だけでなく、たくさんの人たちに来てもらいたいとのことで、とにかくユーザーファーストであることにこだわり、参加のハードルを下げるための多くの工夫がなされているということでした。
わたしもぜひ愛知県まで足を運んでみたいと思います。
たくさんの人に、アートの純粋な素晴らしさと、津田さんの想いが伝わることを祈って。