「女性活躍」はキモチ…

えりこ
異なる業種、性別、国籍、コミュニティの人々が「マッシュアップ」することで、新しいネットワーク、新しい一歩、新しいビジネスを創出できる化学反応を促すカンファレンス「MASHING UP」。
東大2019年度入学生の祝辞で話題になった上野千鶴子さんがゲストスピーカーのセッションを聴講してきました。

「女性活躍」はキモチワルイ? – 新しい言葉をみつけよう

このセッションタイトル。私自身も普段から周囲に「女性活躍」という言葉が嫌いだと伝えています。
行政や企業が叫ぶこのワードの裏に、女性には仕事も家事も育児もがんばってもらいたいという裏メッセージが見え隠れするからです。
さて、上野さんは当セッションでどのような発言をされるのでしょうか。

「ダイバーシティ」は男女均等を口にしたくないオッサンが広めた!?

「男女均等」と「ダイバーシティ(多様性)」は基本的に違う。それなのに「男女均等」や「男女平等」という言葉を口にしたくないオッサンたちがダイバーシティという言葉でごまかそうとしている。上野さんはそう断言されました。
内閣府男女共同参画局の用語集にある「ダイバーシティ」の説明文には、

性別や国籍、年齢などに関わりなく、多様な個性が力を発揮し、共存できる社会のことをダイバーシティ社会といいます。

とあります。
確かに「多様性」という言葉は聞こえが良いですが視点が男女から逸らされます。視野を広げて男女平等の濃度を薄めているように見えますね。

男女雇用機会均等法は「テーラーメイド」

上野さんの仲間の研究者である大沢真理さんは、均等法を「テーラーメイドの法律」と呼んだそうです。テーラーメイドとは「紳士服仕立て」の事。自分の身の丈に合わない紳士服を着て男と同じように振る舞うしか企業では生き延びていけないという意味です。上手い表現ですね。
当セッションのモデレーターであるビジネスインサイダージャパン編集長の浜田敬子さんは、自分自身がそのように生きてきたことを反省していると仰っていました。
そしてもう1人のゲストスピーカーである若手代表の石井リナさんは「今の世代も同じような価値観が再生産されている。自分が勤めていた会社は男性化した女性しか上におらず、同じような働き方をしなければいけないというマインドがある」と話しました。

「男性化した女性」って何?

ここで、私の意見を言わせてください。
「男性化した女性」って何でしょうか?
仮に「男性化した女性」というロールモデルがあったとしても、ただの選択肢の一つです。
現代社会では本当に多種多様な仕事や働き方の選択肢があります。選択肢が一つしかないと思うのであれば、それは「社員病」です。会社というものは、その箱の視点でしか物事が見えづらい環境になるものです。自分の視点が狭いことを棚上げして、自分に合わないロールモデルを指差し、「働く女性とはこういうものだ」と決めつけて諦めるようでは、そもそもその人の成長は見込めないでしょう。
今の日本女性に足りない部分は、「自分自身で新しいロールモデルを作り出す」という強いリーダーシップです。昔の時代とは訳が違います。手段はいくらでもあるはずです。

ゲストスピーカーの秋田さんはこう続けました。

「飲み」と「タバコ」と「ゴルフ」。男性の助け合いの場であるこれら輪の中では、重要な情報交換の場になっている。この輪の中に入れない女性は疎外されてしまう。その積み重ねが女性のハンデになってしまう。

果たしてそうなのでしょうか?
そもそも、「飲み」、「タバコ」、「ゴルフ」は男性で得意な人が多い傾向にあるコミュニケーションなだけです。女性だってこの選択肢を選べるし、嫌であれば他の選択肢を作れば良い。今はそれができる世の中です。
「誰とつきあうか」を意識し、「信頼関係を構築」すれば、仲間同士であれば、重要な情報は共有されると思っています。それができないような相手は、そもそも仲間ではなく、あなたの価値に気づかないようなレベルの人です。
クライアントとのコミュニケーションであれば、確かに「飲み」の手段は有効です。私もよく会食には参加するのでよく分かります。
私はタバコを吸いませんし、ゴルフもやりませんが、やればそれなりに世界が広がるんでしょう。
でも、それ以外のコミュニケーション方法だっていくらでもあると思うのです。

今、ここにいる人たちは日本を変えたい人たちです。ですが、変える力のない人たちです。

以前、カルビー松本会長が放たれた言葉だそうです。誰に向けた言葉かはわかりませんが、今あなたは「女性に向けた言葉」として思い浮かべませんでしたか?
これがジェンダーバイアスです。そして恐らく女性に向けた言葉なのでしょう。
松本会長がおっしゃるとおり、変える力が無ければ日本は変わりません。
日本は圧倒的に女性のリーダーが不足しているのです。

強制力を持たない「クオーター制」で社会が変わった例はない

浜田さん:以前政府は、女性管理職の目標数を挙げていたが、いつの間にか引っ込んでしまった。これはどういうことか?

上野さん:引っ込んだんじゃない。経営者団体に引っ込めさせられた。自民党は先の参院選で、2018年に施行された候補者男女均等法を全く守る気がなかった。立憲民主党45%に対して、自民党は15.7%。やる気がない。
はっきりわかっているのは、強制力を持たない「クオーター制」で社会が変わった例はないということ。
今私たちが知っているジェンダー先進国と呼ばれるフィンランドや北欧諸国を見たら、「強制力を伴うクオーター制なしで変化した社会はない」。
故に強制力を持って数を増やすことは絶対に必要だと思っている。

若い女性自身が今の男性社会に過剰適応してしまっている。

浜田さん:私自身も過渡期には数が必要だと思っているが、それを言うと周りの女性から「それは上げ底ではないですか?」という意見が出てくる。若い人の自信のなさが印象的。男はさんざん上げ底されてきたんだから、女性がちょっと上げ底されて何が問題なのか。

石井さん:知人の女性経営者が「そういう風に数で決めてしまうことで、スキルの無い女性が上に立つことも私は不服」と言っているのを聞いてショックだった。女性自身が男性社会に適応してしまっている。

上野さん:おっしゃるとおり日本社会はこれまでさんざん男性が上げ底されてきた。女性が少し位上げ底されて何が問題なのか。今の企業は無能な男を守る組織。企業は無能な男の不良債権をいっぱい抱えているんだから、少々無能な女性の不良債権を抱えても良いではないか。

浜田さん:女性は若くても過剰適応してしまっている。管理職になった女性たちもその不安を抱えている。研修で「絶対自分より仕事ができないと思っている同期の男性が先に課長になってしまったらどう思う?」と具体的に言うと初めて顔色が変わる。
漠然と考えてるから「私はもしかしたら能力がないのかも」と思ってしまうんだと思う。いかに男性が自然に管理職になってきたのか、女性の置かれている立場がいかに差別されているのか、もっと具体的に知る必要がある。

「女性活躍」以外の言葉は必要か?

浜田さん:例えば「人材の多様化」に言葉を置き換えることで問題は解決するのか?

石井さん:逆にふわっとしてしまって、女性の本質的なところは解決しない気がする。

秋田さん:Adobe社はかなり「人材の多様化」寄りになっている。男性女性だけでなく、LGBTも人種も国籍もいろんなものを含めて、それらが1つの場所にいて影響しあう事がものすごい活力になり生産性がアップしている感覚を肌で実感している。ただ、「女性」テーマで考えると問題は少しふわっとしてしまう。問題の本質が「男女」というところに日本企業がまだまだ追いついていない事を考えると、この表現に行くにはまだ早いのかなと感じる。

上野さん:「多様化」「ダイバーシティ」ははっきり言って、「男女均等」「女性活躍」を言いたくがないためのごまかし。一番良いのはこんな言葉が無くなってしまえば良いということ。だとすれば男女均等を実現しろと言う事をきちんと言っていかなければならない。

男性の育休取得義務化

上野さん:「ダイバーシティ」と言うと、テーラーメイドスーツで働ける人にとっては何の問題もない。しかしなぜ、「男女均等」では女性が働きにくくなるかというと、「家庭責任」がのしかかってくるから。なんで24時間も放っておいたら死んでしまうような赤ん坊の事を、女性は自分の人生の最優先課題になるのに、男性はならないのかが本当に理解できない。
育休法で「男性の育休取得義務化」が法案に出てきそうだが、やったら良いと思う。

浜田さん:さっきの「数」もそうだし、ある程度の強制力が必要。

秋田さん:自分は結構出張が多いので、夫や長男が腕まくりをして下の小さい2人を育てていたりする。そういう環境下に置かれると、男だから女だからというマインドセットが全くない。ある程度の強制力をもって、男性も女性と同じように家事や育児、あるいは介護の実践を実際にしてみる。そこに入っていくことによって、目指すべきものが見えてくると思う。

上野さん:そういう環境だとパパと子どもたちの関係が良くなると思う。そうでない環境の家庭では、子どもが10代になる頃までに子どもは父親を見放している。成人したらさらに父親から離れる。家事育児に関わらないツケは将来に絶対に回ってくる。

女性たちは夫との交渉が一番苦手

浜田さん:実は私も含め、会社の女性社員たちは会社には交渉できるが夫との交渉が一番苦手。夫を変えることが一番苦手だと思っている。夫に遠慮してしまう結果、ワンオペになっている。

上野さん:なぜ?夫のいない私にとっては全く理解できない。夫を変えられなくて、会社を変えられる訳がないんじゃないの?と思う。

浜田さん:そうなんだけど、みんなすごく遠慮している。夫に頼めない結果、会社を辞めていく。育休から復帰して1年経って辞めていく女性たちに理由を聞くと、「夫が長時間労働で、これ以上夫には(家事育児)を頼めない」と言う。夫に「転職して」とか「早く帰ってきて」というのではなく、自分のキャリアを譲ってしまう。

石井さん:自分の周りにもそういう女性が非常に多い。

上野さん:うちの卒業した元東大女子たちは、夫と交渉せずに諦めた結果、不平不満がなくなっている訳ではない。ここにこんなにどす黒く溜まっている。そして「もういいんです。私たち終わっているから。もう期待していないから」という。だから私は「そんな終わった男とこれからもセックスするの?」と聞く。

オススメは「家事育児の見える化」

秋田さん:外の仕事をこれでもかとやって帰ってきて、家に帰ってきても山のように家事育児のタスクがある。週末もある。これは、寝っころなりながら、ビールを飲みながら、テレビを観ながらだと見えない。悪意がある訳ではなく、実際に分かっていない。だとしたら、「あなた方(夫や子ども)が寝っころなりながら、ビールを飲みながらやっている間にこれだけのタスクが溜まっているんです。これを私がやっているんです」と見える化する。すると結構相手に衝撃を与えられる。
そして、「これを全部私1人で維持するには限界があります。一部アウトソースするのか、一部あなた方に担ってもらえないと持続できない。だからあなた方に担ってもらえませんか?」と公平な形にしていく。実際に自分はものすごく細かく見える化している。

上野さん:そこまでやらないと男は分からない位鈍感なの?(爆笑)

最後に

(聴講者からの「私の世代は男女含めて管理職に魅力を感じないんだがどうすれば良いか?」という質問を受けて)
秋田さん:権限をもつと、それまでと違った地平線が見えるようになる。何かやりたいことがある時に、管理職になることによって、誰にどうもっていけば通せるかもしれないという物が見えるようになってくる。それが大変だったとしても、やり遂げられた時に「テイクして良かった」と思える。自分で考えたことが、自分のチームで形にできていくことに楽しいと思える喜びの瞬間は絶対にある。面倒くさいこともあるが、そこにたどり着いてみないと見えない地平線が必ずある。だから男性であれ女性であれ、若い方がチャレンジすることを願っている。

石井さん:上の立場になると、そのレイヤーの人と対等に話ができるようになる。会えるようになる。交渉しやすくなるということを明確に感じる。そこはすごくメリットかなと感じる。

上野さん:みんな、権力の密の味を味わったことがないのねと思う。権力は善用にも悪用にもできる。私はこれでいいわとまとまってしまったら、それ以上の成長はない。やっぱり仕事を通じて自分が成長できる、何事かを達成する。この喜びは何者にも代えがたい。これは一旦経験したら味をしめる。達成感とか何事かを成し遂げたというポジションを女性たちが味わっていないからそういう発言に繋がるんだと思う。

浜田さん:同世代の男性の昇進欲が下がっているならチャンスだと思ってほしい。

田渕所感

私は常日頃から日本のジェンダー平等社会の実現に「女性のリーダーを増やすこと」が一番重要であると考えています。
カルビーの会長が仰るように、意思決定権を持たないと社会は変えられないのです。意思決定権のトップは政治です。その政治分野のジェンダーギャップ指数(2018年)のスコアは0.081でした。この指数は「1」が完全平等で「0」が完全不平等を表しますので、0.081はほぼ「完全不平等」という結果を示しています。要は日本の政治において、意思決定権はほぼ男性しか持っていないということです。これを覆すには、まず男性と対等に戦う女性のリーダーを増やすことが最重要課題だと考えます。女性に高下駄を履かせてももちろん良いと思いますが、幼少期からのジェンダー平等教育、リーダーシップ教育も並行して進めていくことが重要です。性別に関係なく、何でもチャンレンジできるという事を伝えて、自己肯定感を持ち、本質を見極める力を育むことが最も大切だと思うのです。

そして、それだけでは足りません。男性が当たり前に家事育児を担う社会を同時に作り上げる必要があります。これができて、初めて女性リーダーが増えるのです。

秋田さんの仰っていた「家事育児の見える化」は我々NPO法人ジェンダーイコールが開発した家事育児分担可視化ツール「ハッピーシェアボード」の必要性を改めて感じることができ、うれしく思いました。ちょうど来月12月8日(日)に北区男女共同参画活動拠点施設「スペースゆう」(王子駅直結北とぴあ5F)にて、「ハッピーシェアボードで「名もなき家事」をシェアしよう!」を開催します。近々イベントの告知ページを公開しますので、興味のある方はぜひ家族でご参加ください。

はじめて、ナマ上野千鶴子さんの講演を聴講することができ、光栄でした。
ありがとうございました!!!

あいちトリエンナーレ…

こちらの記事で企画発表会に参加させていただいたあいちトリエンナーレ
「表現の不自由展・その後」、ネットニュースで見ない日はほぼなかったですね、、
再開されるタイミングを待っていました。


この床の飛行機のペイントも作品です!

先に言っておくと「不自由展」は当選せず見ることができませんでした。残念!
昼頃着の日帰りだったので豊田市の会場には行けなかったのですが、他の3区域の作品はほぼ見て回ることができました。
津田監督も企画発表会で「ユーザーファーストであることにこだわった」とおっしゃっていた通り、どの作品にもわかりやすい背景解説が書かれていて、アーティストがどんな気持ちで何を伝えたくて作品を生み出したのか頭に入れながら鑑賞できます。

現代アートってなんだか難しそうでちゃんと観たことがなかったのですが…
どんな作品も誰かが何かを伝えたかったり、問題提起したかったり、知って欲しかったり。その表現方法の1つとしてアートを選んでいるんですよね。

本当にどの作品も素晴らしくて、1つ1つ心に残っていますが、そのうちのいくつかを紹介します。

孤独のボキャブラリー/ウーゴ・ロンディノーネ


キービジュアルにも使われているピエロの展示。
人間が1日のなかで行うふるまいを45体のピエロで表現しています。
フォルムが本当の人間のようなんですよね〜 展示室に入ったときアルバイトの人かと思いました。

一体一体がちょっとやる気ない感じなんですよね(笑)可愛いです。

The Clothesline/モニカ・メイヤー


性差別やセクハラについて、来場者によって書かれた匿名のエピソード。
なんと40年以上前から世界各国で行われてきたプロジェクトなのだそう。
知らない誰か、でもどこかにいる誰かのリアルな体験が生々しく書かれていて、胸が痛くなります…
どんな形でも、傷ついた体験をアウトプットすることは大切だと思います。それがこうやって可視化されることで、「ジェンダー差別なんてない」と目を瞑る人が減っていくといいなと思います。

ラストワーズ/タイプトレース/dividual inc.


タイピングのプロセスをトレースできるソフトウェアによって記録された、ネットで集められた遺言がモニターで流れています。
書いて、消して、止まって、書き直して… 出来上がった文章を見るだけではわからない、執筆者の心の動きが伝わってくるようで、怖いような優しいような悲しいような複雑な気持ちになります。

1996/青木美紅


数年前に、自身が人工授精で生まれてきたと親から伝えられたアーティストが、同じく人工的に誕生したクローン羊のドリーと、障害があることを理由に不妊手術をさせられそうになった女性のルーツを巡り製作。
「人工的な生(与える/奪う)」について想いを巡らせた作品です。
一部屋を使ったインスタレーションで、南米かどこかの民族のおうちみたいな感じですごく可愛くて、ノスタルジックな感じもする不思議な空間でした。
写真がかわいく撮れませんでした…

43126/タニア・ブルゲラ


こちらも部屋全体を使ったインスタレーション。
難民の数を表すスタンプを押されて展示室に入ると、ガラスの向こうにはメンソールを充満させた空間があります。それは、社会問題を数値で見せられても何も感じない人たちを、メンソールの刺激によって強制的に泣かせるための空間(!)
すごい発想!アートってすごいなと思いました!

「輝けるこども」/弓指寛治

登校班の6人の小学生が亡くなった自動車事故をモチーフにした作品。
油絵は色使いがとても鮮やかで、生前の子供達や、授業で書いた詩や、彼らの好きだったことが文字や絵でちりばめられ、キラキラ輝いています。同時に、自動車の危険性を表現する作品もあり(怖い)、部屋を歩いていくことでストーリーをつなげていくインスタレーションです。
ちょっと感情を揺さぶられすぎて写真を撮るのを忘れました。
本当に開催地の端っこにあって… 思わずスルーするところでしたが本当に行ってよかったです。

あいちトリエンナーレとジェンダー平等

「不自由展」を見ることができなくても、十分以上に満足できるアートフェスティバルでした!
「再開しました」と多くの作品に掲示されていましたが、これはつまりほとんどの会期で見ることのできない作品が多数あったってことですよね、、本当にもったいないですね。

わたしは、傷ついたとか嫌な気持ちになったとかおかしいと思うとかの感情は、きちんと言語化したうえで、相手に伝えるなり発信するなりしたほうが絶対にいいと思っています。泣き寝入りは、ほとんどの場合その場しのぎの対応にすぎないとも思います。
なので、「不自由展」に展示された作品そのものや、モチーフや背景に不快感を感じた人が抗議をすること自体は全く問題ないと思います。
でも、脅迫はダメです、絶対。非生産的すぎます。そして過剰な業務妨害もダメです。

さて。このトリエンナーレをなぜジェンダーイコールのコラムで紹介するのか。
それは、あいちトリエンナーレの参加アーティストでジェンダー平等が達成されているからです。

これから先も、この芸術祭が話題に上がるのはほぼ「不自由展」がらみのことでしょう。「不自由展」が騒動になったとき、今回あいちトリエンナーレの取ったジェンダー平等に向けた取り組みのことがかき消されてしまった気がして残念だなと思いました。
ですが、ジェンダー平等は事実としてトリエンナーレの根幹にあります。
それが話題にならず当たり前になることが本当のゴールです。

あいちトリエンナーレの作品を見て、本当にどれも素晴らしいと思いました。特に心に残った作品のアーティストを調べてみても、ほぼ男女半々になると思います。
アファーマティブアクションによって、プロジェクトのクオリティは落ちない。それをあいちトリエンナーレでは証明しています。

残り会期ほとんどなくなってしまいましたが、あいちトリエンナーレ、ぜひ足を運んでみてください。

あいちトリエンナーレ…

あいちトリエンナーレは、今夏(2019年8月1日〜10月14日)、名古屋市と豊田市の美術館およびまちなかにて実施される日本最大規模の芸術祭です。
2010年より3年おきに開催されていて、今回で4回目の開催になります。

今回、あいちトリエンナーレで芸術監督を務めるのが、ジャーナリストの津田大介さん。
テーマは、「情の時代」。
感情・情動、情報、根源的な情・情け。英語では “passion” で、情熱、受難。
「情」というワードの持つ多義性に注目しコンセプト設定したそうです。タグクラウドはこんな感じに。

さて、このあいちトリエンナーレの記者会見に、なぜわたしたちジェンダーイコールが参加したのか。
それは、今回のトリエンナーレ参加アーティストにおいて、いわゆるアファーマティブアクション・ポジティブアクションによるジェンダーの平等が達成されているからなのです。

芸術祭とジェンダーにどんな関係が?

津田さんが芸術監督として、アーティスト招聘方針にアファーマティブアクションを打ち出したきっかけ。
それは、昨年の医大女子受験生差別の問題でした。
このニュースに強い衝撃を受けた津田さんは、一連のジェンダー問題にアート業界も反応すべきではないかと感じたそうです。

後述しますが、実は、アート業界は(というか、アート業界も)かなり男性優位社会なのだそうです。
「世界中でこれだけたくさんの芸術祭が開催されているのに、なぜ、不自然に一度たりともジェンダー平等が達成されてこなかったのか?」
それは、ガラスの天井があるから、と津田さんは言い切ります。

これは放置していていい問題なのか?
女性に対してエンパワーしていくこと、アファーマティブアクションをやっていく必要があるのではないか?
そう考えた津田さんは、今回のトリエンナーレでジェンダーの平等を達成することを宣言します。

そこで、真っ先に名前が挙がったのが、メキシコのフェミニスト・アーティスト、モニカ・メイヤー氏。
ただやはり内部で、「抵抗感を持ったり敬遠する人もいるし、、トリエンナーレ自体に色がついてしまうと難しいよね」という議論になり、なかなか進まなかった。
ですが、やはり日本の人たちにアートを通じてジェンダーの問題を考えてもらいたい!とメイヤー氏の採用を決断。

その後は、テーマに合った女性作家をどんどん採用していったら自然と男女6:4くらいになっていたのだとか。
「数合わせのために無理に採用していったのではない」はとても大事で、気づいたら少しずつバランスが取れてきていて、そこから完全平等に向けたアクションを取っていったということでした。

参加アーティストの最終的な男女比は31:32。
コレクティブ(グループのアーティスト)は置いといて… と例外を作って、後から「やっぱ50:50じゃないじゃん」となりたくなかったという津田さん。並々ならぬ意気込みを感じます..!

一方で、世界的にもジェンダー平等の流れが各所で起こり始めているという背景も。
Power100という、アート業界に最も影響力のあった人物のランキングで2018年の3位は #metoo。
ハリウッドでは、50502020というアクションが打ち出され、多くの映画祭が賛同し活動が始まっているそうです。
ベネチアビエンナーレでも同様に、今年初めてジェンダーの平等をほぼ達成。

ジェンダー不均衡を解消しようとするアクションは、アート業界における世界潮流になりつつあるということでした。

アート業界におけるジェンダーギャップ

歴史的に、女性が男性と同等の権利を与えられない時代が長くあったことは事実で、それは表現のフィールドでも同じです。
知っている画家を挙げて!と言われて出てくる有名な人は、ピカソとかゴッホとかモネ、、ほぼ100%男性ですよね。
そんな歴史があって、結果的に美術館のコレクションにおける男女比に偏りがあるのは、まあ仕方がないことのように思えます。

ですが、現代アート業界においても変わらず男性優位の構造が成り立っているそうなのです。
ほとんどの国際芸術祭に採用されるアーティストは7-8割が男性。
しかも日本の美大では、新入生の7割程度が女性であるにもかかわらず(!!)

知らなかった..!
進路選択の時点から既に男女比に著しい偏りのあるSTEM領域よりもさらに根深い不平等構造が見えます。

なぜ、入り口の男女比が実社会で維持されない、それどころかむしろ逆転してしまうのか。
それは「選ぶポジションにいる人のほとんどが男性だから」だそうなのです。
例えば、美術館の学芸員は66%が女性ですが、館長は85%が男性。
東京藝大の男性教員は85%が男性(これでも以前よりは女性の比率が増えたらしい)。
教員がほとんど男性だから、持ち上げられて業界に出て行けるのも男性、それが成り立つというのも相当危険ですよね、、

ともかく、女性プレイヤーがじゅうぶんいるにもかかわらずジェンダー不均衡の構造が根付いているアート業界。
だからこそ、芸術祭そのものの質を下げることなく平等を達成することはできるし、やるべきだと、今回の決断に至ったということでした。

「認知」と「行動」

ジェンダー平等、わかりやすく言うところの「男女平等」について、どのように取り組んでいくべきなのか。
それには、以下の2ステップが必要になると思っています。

「認知」: ジェンダー不平等の現状を知り、認める
「行動」: 解消に向けて実際に行動を取る

特に強く感じるのは、初めのステップの「認知」が実はとても難しいということ。

  • 先進国の日本で、差別なんてない。
  • 男女に違いがあるなんて当たり前。差別じゃなくて区別でしょう。
  • レディースデーとか女性専用車両もあるし、女性だって優遇されているじゃないか。
  • 日本では出生選別もされないし、進学率も同程度。働こうと思えば働ける。頑張れば出世だってできるだろう。
  • 差別だなんだって訴えている人は、本人の努力不足・能力不足。
  • 働きたくない女性も多いんだから、平等なんて目指さなくてもいいのでは?
  • なんかめんどくさそうだから距離置いとこう…

このように考えている人ってけっこう多いのではないかと思うのです。
(わたし自身も、ワーキングマザーになるまではジェンダーギャップを実感したことはほとんどなく、自分事ではなかったが故に問題視したこともありませんでした。)
だけど、世界的に見れば、日本のジェンダー平等達成度ランキングは、半分よりもはるかに下。欧米諸国はもとより、あまり女性が社会進出をしているイメージのない国、たとえば中国よりもインドよりも下であることは事実です。
そして、平等でない状態が「個人の選択」として矮小化され、結果的にどちらの性にとっても人生の自由度を下げているということも事実だと思います。

問題を問題として認識し、テーブルに乗せなければ、議論を始めることすらできません。
現状が均衡の取れた状態と考えている人に、いくらジェンダー平等の必要性を伝えても、過剰に権利を主張していると捉えられてしまう。
ここが、フェミニズム的な考えがなんだか触れてはいけないもののようにされている原因のひとつとなっているのではないでしょうか。

でも、ジェンダー平等を目指すということは、津田さんが今回取り組まれているように、不自然に偏っている状態からバランスを取るためのアクションなんです。

繰り返しになりますが、津田さんは、昨年問題となった医大の女子受験生一律減点のニュースを見て、ジャーナリストとして大きなショックを受けたそうです。
そして、ご自身の力の及ぶフィールドで問題提起し、解決に向けて具体的に行動を起こしたいと考えた末、今回の「あいちトリエンナーレ」におけるジェンダー平等を達成しようという結論に至ったということでした。

津田さんはおそらく、ジェンダー問題の直接的な当事者でも、いわゆる「フェミニスト」でもないと思います。
だからこそ、問題を「認知」してから、素早く客観的かつ多少強引な部分もありつつ有効性のある「行動」をとることができたのではないでしょうか。
こういった動きが増えていくことによって、社会は加速度的に変わっていくのではないかと感じました。
できるところから確実にジェンダーの平等が達成され、他の分野にも波及していけばいいなと思います。

あいちトリエンナーレは、”Art Lover” だけでなく、たくさんの人たちに来てもらいたいとのことで、とにかくユーザーファーストであることにこだわり、参加のハードルを下げるための多くの工夫がなされているということでした。
わたしもぜひ愛知県まで足を運んでみたいと思います。

たくさんの人に、アートの純粋な素晴らしさと、津田さんの想いが伝わることを祈って。

品川女子学院の校内イ…

こんにちは!ジェンダーイコール篠原です。
先日公開した品川女子学院の生徒さんとお話ししてきました!、いろんな方から読んだよ、と言っていただきとても反響が大きかった記事です。
実は、彼女たちとはその後も何度かお会いしていて、お付き合いが続いています。
先日、学校にて生徒さん主催の保護者様向けのイベントが開催され、ゲストスピーカーとして登壇させていただきましたので、その時の様子をお伝えします!
前編はコチラ

トークオーバーシートワークショップ

わたしもやってみました。生徒さんたちの開発した、家事分担の可視化ツール・トークオーバーシート。
縦軸に「労力」、横軸に「頻度」を取り、家事タスクのシールを貼っていきます。
このツールの最大のポイントは、「労力」の軸があることだと思います。あえて定性的・主観的な指標を入れることで、それぞれのプレイヤーの意識を可視化することができます。

(↑わたしがブルー、夫がオレンジです)
うちはそれこそ幾度となく超醜い泥試合を繰り広げ、家事育児の均等配置を目指して何年も何年も調整してきましたので、、
「重いけど頻度の低い家事(=半年や年一レベル)」と「高頻度で負荷の低い家事(=ルーティン化されている家事)」が多く、比較的最適化されているのではないかと思いました!
あとは、自分は重いと感じていた子どもとのお風呂に対して、夫は楽しんでいるからそんなに大変だと思っていなかったなど、同じタスクに対しても認識の違いがけっこうあることがわかりました。

そして、今回初めて気付いたのが、お互いに高負荷と感じていて、かつ頻度も高い「ラスボス家事」が存在すること。それが「洗濯物畳み」と「食器洗い」です!
これ、洗濯乾燥機・食洗機という現代の利器を投入しフル稼働しているにもかかわらず、なお倒せていないんです、、また、料理や掃除などと違って、比較的家族の人数と仕事量が比例しやすい家事でもありますね(うちは人数が多いうえに保育園児が2名いるため着替えも多い)。

、、、と、これまで散々家事分担と省力化に対して検討してきたわたしでも大きな発見をすることができました。
この後、洗濯物畳みは子どもでもできるだろうということで、テレビでも見ながら畳んでもらうようにしたんです。自分のぶんだけでいいんです。ただ、タンスにしまう所(超重要!いいとこ取りは家事ではない!)まで。
週末山のように溜まっていた洗濯物が、嘘のようにというと嘘ですけど(笑)、今までよりははるかに楽に片付くようになりました。

参加者の方は…

さて、ご両親で参加されている方、お子さんといらしている方、単独の方。それぞれトークオーバーシートを実践し、その後近くの席の方とディスカッションする流れでワークショップが行われました。

実践後の参加者の方々の声を紹介させていただきます。
シートについての感想やアドバイス、ディスカッションの内容、ご家庭のルールやそれぞれの想いなどについて自由にお話しいただきました。

「うちは家事はポイント制にしてあり、都度話し合いと修正をしている。」
「子供が大きくなるにつれて総量が減っているなと実感した。」
「タスクに対して感じる重みが家庭によって違うと思った。」

まずは人間同士が一緒に住むという前提ですよね。男女ともに意識を持てるようになるとよい。」
「このような試みが男性の目に触れるように。男子校などでやるとよいのでは。」
「子供のぶんのシールも貼りたい!お母さんがなんでもやってあげないことが大切。

「棚卸しをした感じ。見えなかった仕事が見えてきた。」
「家事をする時間にいないからと諦めていたけど、例えば作り置きなど、いなくても工夫すればできることもあると感じた。」

最後に、あるお父さんから、
「リストにオムツ替えとあったが、今となってはなくなってしまって、懐かしい。あの時やっておいてよかったなと思った」というお話しが出て、参加者の方々から「泣ける!!!」と喝采が。

中高生の保護者の方々ということで、自分よりも親歴が少し長い方々ならではのご意見を聞くことができてとても勉強になりました!
何より大切なのは、分担の結果よりも、大人がこうやって正面から課題に向き合うこと、そして、その姿を子どもたちに見せることなのかもしれません。
それが、負のループを次世代に受け継がせないことにつながると思うのです。

その後

彼女たちのプロジェクトは、校外のコンテストである賞を受賞し、今夏また海外で発表する機会をゲットしたんです!

プロジェクトの進め方やプレゼンの組み立て方は、もちろん先生方のご指導もあってのことですが、今すぐに社会に出ても問題ない(むしろプレゼン上手だね〜とか上司から言われる)レベルなんです。
ただ、これはわたしたちジェンダーイコールの活動でも日々感じることでもありますが、課題設定的には世の中みんなに理解してもらえるものではなく、さらに、たくさんの人に納得してもらえるソリューションを提供することが難しい課題ではあると思います。

しかし、一方で、こうやって各所で彼女たちのプロジェクトが目に見える形で評価されていることは、ジェンダーギャップが大きな社会問題であると多くの人が認めはじめていることの大きな証拠であるとも思うのです。
次々とステップアップして、問題提起の場をどんどん広げていってくれる姿は本当に頼もしく、感謝の気持ちでいっぱいです。

担当の先生が、今回の発表の場で「若い人が問題を発信することが社会を変えるきっかけになる」とおっしゃっていて、本当にその通りだと思いました。
四月からは受験生になるとのことですが、彼女たちならどの学校に行っても、その先どんな世界に出ても、信頼できる仲間を見つけて力強くやっていけることでしょう。ぜひ、これからもパワフルに前進していってほしいなと思います!

品川女子学院の校内イ…

こんにちは!ジェンダーイコール篠原です。
先日公開した品川女子学院の生徒さんとお話ししてきました!、いろんな方から読んだよ、と言っていただきとても反響が大きかった記事です。
実は、彼女たちとはその後も何度かお会いしていて、お付き合いが続いています。
先日、学校にて生徒さん主催の保護者様向けのイベントが開催され、ゲストスピーカーとして登壇させていただきましたので、その時の様子をお伝えします!

CBL

品川女子学院のカリキュラムの一環で、Challenge Based Learning=課題解決型学習。
具体的には、数人でグループを組み、自ら課題を設定し、研究・調査を経てソリューションを提案するプロセスを学習するプログラムで、品川女子学院では高校二年生の全員が体験するそうです。
ジェンダーイコールにお声かけくださったチームのテーマは、「家庭内男女格差」。詳しくは、前回の記事をご覧ください。
なんと今回、彼女たちのプロジェクトは無事校内のコンペを勝ち抜いて、めでたくオーストラリア行きの切符を手にしたんです!まさに有言実行です!すごい!!

家庭内ジェンダーギャップ解消のため、彼女たちが提案したソリューションのひとつは、トークオーバーシート(talk over = 議論する)。家庭内タスクの可視化ツールです。
それから、発信活動として、彼女たちにとっての身近な大人=保護者向けにプロジェクトの内容を知ってもらうために開催する今回のイベントもまた、ソリューションのひとつです。

今回のイベントでは、
1. 問題提起と調査内容及びソリューション提案に関するプレゼン、
2. ジェンダーイコールのトーク、
3. トークオーバーシートのワークショップ が行われました。

チームのプレゼン

コンペを勝ち抜いただけあって、内容的にも完成度が高く、堂々としたプレゼンで本当に素晴らしかったです!!
(ちなみに、全く別の場で別の生徒さんのプレゼンも拝見する機会がありましたが、ここの学校は生徒さんが人前で話すことや知らない大人に対応することにすごく慣れています。練習の繰り返しや、メンタルのコントロールについてもかなり指導されているのではないかと思います。結果的に、全体のレベルも相当高い。)

プレゼンの内容を抜粋してお伝えします。

問題提起

  • 兄がいるが、自分だけが女の子なんだから家の手伝いをやりなさいと言われることがある(実体験)
  • 医大の女子受験生差別(国内の社会問題)
  • SDGs にもジェンダー平等が挙げられている(グローバルイシュー・関心)
  • 某ハウスメーカーのCM(「ちょっと待ってって言わなくなったね」のアレです)(家事や育児は女性のものという世間の認識、メディアの姿勢)

社会的背景

  • 共働き世帯は増加傾向
  • フィールド調査
  • 校内保護者を対象とした Google form アンケートの集計結果。家事分担は 76 パーセントが妻。
    自由回答では、夫側は「お小遣いが欲しい時にやる」。妻側は「諦めている / 期待していない」。
    夫婦ともに家事分担が不均衡である自覚があるにもかかわらず、行動を起こす気がない。
    改善行動に動けていない。

  • (新聞記事を引用し)無償労働についての問題提起。このままでは、男女格差の解消に210年かかる。

仮説

  • 働き方改革、男女双方の意識改革が必要

ソリューション提案

  • トークオーバーシート(家事分担可視化ツール)の開発
  • イベント開催による問題提起 および PR
  • WEB サイト構築、SNS 発信、これらの多言語化による 対若年層およびグローバルな問題提起

どうでしょう。この内容を高校生がやるんですよ。
まずストーリーがきちんと成立しているところから、深さ・広さ的に適切な調査、十分に信頼できるソースからの引用、そこから導く仮説と解決案。
わたしたちの考えと通じる部分も多くあり、また、こちらが勉強させてもらった点もたくさんありました。

ジェンダーイコールのセクション

わたし自身三姉妹の母で、女子校にお子さんを通わせている保護者様とは「娘がいる」という絶対的な共通点があります。

ジェンダー格差を生み出す要因となっている「統計的差別」「家庭内格差」の二つの負のループについてお話しし、娘たちにはそのループに乗って欲しくないですよねというお話をさせていただきました。

統計的差別


家庭内格差


統計的差別・家庭内格差の負のループ。
いずれも、「家事や育児は女性が主で担うもの」という、いつの間にか勝手に置かれている大前提があって、それを合理化するループがすでに回り続けているのです。
確かに、この前提が合理的だった時代があったかもしれません。が、現代ではどうでしょう。
ともかく日本社会はこのループから抜け出すことができていない。これが、ジェンダーギャップを形成する要因のひとつとなっていると考えます。

プロジェクトメンバーの4名の高校生たちは、女子校という環境や学校の教育方針もあり、実生活でジェンダーギャップを感じることはおそらくほとんどないのではないかと思います。
でも、彼女たちにとって身近だった受験生差別問題をはじめ、周囲の状況や大人たちを見て、なんかおかしいな.. と感じている。

ここから先はわたしの推察ですが、彼女たちがこのプロジェクトを遂行するモチベーションには、「女性だからという理由で入試で不当に選別され、結婚すれば大半の家事を押し付けられ、正社員で働き続けても男性の7割しかお給料がもらえない。こんな社会に数年後の私達を放り込まないで!!」という願いがあるのではないかと思います。
そして、そんな社会を作ってしまったわたしたち大人は、そのメッセージをしっかりと受け取る責任があると思うのです。

〜後編に続きます〜

【イベントレポート …

こんにちは!ジェンダーイコール篠原です。
2018年12月16日に、イベント「越境せよ!シンポジウム 〜あらゆる枠を越えて、自分の中にもダイバーシティを!〜」を開催(越境3.0、HIS、勝部元気氏、Rainbow Tokyo 北区 との協賛)いたしました!
イベントの様子を前編・後編に分けてお伝えします(前編はこちら)。

イベント概要
■ 日時:2018年12月16日(日)14:00〜17:30
■ 場所:お茶の水女子大学
■ 主催:「越境せよ!シンポジウム」実行委員会
■ 協賛:越境3.0、ジェンダーイコール、HIS、勝部元気(リプロエージェント)、Rainbow Tokyo 北区

——
第1部「ジェンダーの枠を越えよう」/ 勝部元気・ジェンダーイコール
クイズ大会、トークセッション、グループワーク
第2部「国の枠を越えよう」/ 越境3.0
越境3.0 メンバーによるフリートーク
第3部「あらゆる枠を超えて自分の中にもダイバーシティを!」
参加者によるグループワーク・発表
——

第1部の様子はこちら

第2部「国の枠を越えよう」/ 越境3.0

第2部は、越境3.0のメンバーによるトークセッション。
海外経験豊富なメンバーたちが、「多様性」を軸に、日本以外の国で体験したこと、そしてその体験を経たうえで日本に対して感じていることを話してくださいました。
オーディエンスとして聞かせていただいたセッションの内容をレポートします。

また、代表の石田氏のつながりで、なんとアゼルバイジャンの国営テレビの撮影スタッフの方々にもお越しいただきました!なんかすごいグローバルです!

[登壇者] 石田 和靖(越境3.0、越境会代表)
ミッキー裕司(越境3.0メンバー)
坂上 舞(越境3.0メンバー)
荒木 隆(越境3.0メンバー、留学コンサルタント)
神谷 瑛美(越境3.0メンバー)
[モデレータ] 小林 健一(HIS)

世界と日本の多様性について

タイでは化粧品売り場のスタッフは男性が多い。それが普通。タイに限らず東南アジアではかなり普通になってきている。

日本でいわゆる会社員の男性はみんなスーツを着ているけれど、それも世界を見ると常識ではない。イタリアでは営業マンがカッコイイデニムを履いていたりする。

現在ではジェンダー平等先進国として知られているアイスランドは、もともとは漁業国で男性社会だった。
金融危機で女性が働かざるをえなくなったことによって平等化が進んだ。
ジェンダー平等が進んでいる国では経営者や首長に女性が多い。日本も女性が首相になっちゃえば変わるのかも。

デンマークも、女性の社会進出が進んだ国。これは街に出ればすぐわかる。子連れのパパがたくさん歩いている。
子供を見るのは女性の役割という意識がない。
第1部で話題に上がったが、トイレもだれでも使えるものがたくさんある。

日本では電車とかレストランで子供が騒ぐのをやめさせるが、外国では騒がせる。
子供は親が見るものという重圧を感じるのが日本の社会。子連れの人が「すみません」と言っている。これが、子供は社会で見るという意識のある国では、「(子供を見守ってくれて)ありがとう」になる。

ダイバーシティ(多様性)とは、一人一人が他人を理解しようとすること。
(撮影に来ている)アゼルバイジャンも多様性大国。
文化の異なる他の国に囲まれている。文化を理解しないと生き残れないしそれを強みにしようとしてきている。

日本の教育は考えさせない教育。先生がそういうもんだと言って決めてくるから、子供は考えない。鉛筆は5本もってこいとか。
会社でもそう。紙の大きさを決めるのに一年くらい会議をやったりしてる。

日本人は小さい頃から合わせることが重要といわれて育ってきていて、主張することが苦手。
自分の考えを主張しつつも他人とすり合わせをしていくことは、陸続きで隣の国があるような国と比べて苦手なことかもしれない。

日本人だけがいまだに自分たちをアジアの雄だと思っているふしがある。大事なのは偏差値ではなく経験値。
これは、学校の先生は自分たちが経験していないから教えてくれない。だから経験値は自分で取りに行くしかない。

日本はダメなの?「枠」を越えるには?

日本のコンビニのおにぎりの価値に気づくことが大事。
いつでも海苔がパリパリのおにぎりをいつでも100円そこそこで買えることって本当はすごい。
いっぱい日本にはいいところがあるのに武器だと思っていない、気づいていないということを変えていかないと。

知り合いを増やすこと。行かないところに行ってみること。新しいことをやってみること。
まずは国内でOK。いつもと違うことをやってみる。
居心地の悪い場所に行ってみる。違和感のあるところに行ってみる。そこは自分の知らないところだから学びが絶対にある。

日本人は日本国内の情報を信用しすぎている。偏っていたり正しくないことも多い。
中国や韓国の人は、自国の教育やメディアを全く信じていない。
学校の先生やメディアの言っていることが信用できるか?ということを、自分できちんと考えて判断することが大事。

外国人の友達をたくさん作る。日本にはいろんな強みがあって、海外の人はみんな日本のことが大好き。
少子高齢化の人口モデルを先行していることもあるし、これまでもいろんな問題を日本が解決してきた。場合によっては海外の人のほうが日本のことをよく知っていることもあるし、質問されることで日本のことを知ることができる。

考えることが先ではなくて行ってみることが大事。これは教育のせいでそうなってしまっている。とにかく先に動くこと。
日本のパスポートランキングは世界で1位。でも、パスポートを持ってるのは日本人の25%(!!)。
たくさんの人と会って話をすることが大切。海外にもっと行こう、友達を作ろう。

わたしたちジェンダーイコールとのイベントということで、ジェンダーの話題についてもたくさんお話しいただきました。多くの国でいろいろな経験をすることによって、自分の世界を広げると同時にアイデンティティを確立していく。本当に大切なことですね。
中でも個人的にとても印象的だったのが、「世界を知ると「常識」の幅が広がって生きやすくなる」というお話でした。社会人だから、親だから、女性だから、何歳だから、○○だからこうすべきという「常識」も、世界に目を向けてしまえば小さなことなのかもしれません。

第3部「あらゆる枠を超えて自分の中にもダイバーシティを!」

最後に、自分が今どんな枠に捉われていて、それをどうすれば取り払うことができて今よりも自由になれるかという観点で参加者の皆さんに考えをまとめていただき、発表していただきました。

参加者の方の発表:
「枠を越えるということは勇気がいることだけれど、入り口が楽しいかどうかがとても大事だと思う。
そうするためには色々な価値観を得ることが大切。越境3.0のセッションで話されていた通り、友達を作ることが大事。今日のイベントに来ることも自分にとってはけっこう勇気がいることだったけど、今日来たことでいろんな人と話せて次のハードルはもうない。」

「”就活生にならないといけない、スーツを着なければならない”と思っていたけど、就活をして企業に入ることだけが社会に出るということではないので、就活生にはならなくてもいいのかな。」

「”母性”という枠に捉われている。例えば、子供とか世の中的にカワイイとされているものに対して、そう思っていなくても「可愛い」と言わなければならない空気がある。」

そして、ジェンダーイコール田渕からは、「“母性”は女性だけに特化して備わったものではない」という話が。
「母性」を具体的な行動として「子供の心身の健康を願いサポートすること」と定義してみます。実際にわたしたちジェンダーイコールメンバーのパートナーたちは、家事や育児に主体性を持つようになってから、子供達に食べさせる料理を自分なりに工夫してこだわりだしたり、健康を考えたりするように変わってきています。そして、彼ら自身けっこうそれを楽しんでいるというエピソードを紹介させていただきました。
これまで子供に関わる多くのことを女性がやってしまってきたから、男性が「母性」を持つ機会を得られなかったのではないのでしょうか。

ここで、「こうして女性が社会進出することによって生じ得る男女の所得の逆転についてどう捉えるべきか」というご質問をいただきました。
これには、ある参加者の方から「妻の収入が自分を超えたことが嬉しかった」という体験談が。パートナーとして相手の成功を応援し喜ぶことができる。とても素敵な関係を築かれているなと感じました。

田渕からはイベントのまとめとして、「行動すると意外に結果が付いてくる。失敗したとしても5年後10年後にきっと生きてくる。ひとつひとつみんなが少しずつ行動することで枠を取り払っていければよい。」
そして最後に、勝部さんから、「一人では越えられない枠も仲間がいればできることもあるので、みんなで力を合わせていければ」とお話しいただきました!

参加者、登壇者、スタッフみんなが自由に意見を交し合い、たくさんの価値観に触れ合うことができました。
とても素敵な時間でした。参加していただいた皆様、本当にありがとうございました!

【イベントレポート …

こんにちは!ジェンダーイコール篠原です。
2018年12月16日に、イベント「越境せよ!シンポジウム 〜あらゆる枠を越えて、自分の中にもダイバーシティを!〜」を開催(越境3.0、HIS、勝部元気氏、Rainbow Tokyo 北区 との協賛)いたしました!
イベントの様子を前編・後編に分けてお伝えします(後編はこちら)。

イベント概要
■ 日時:2018年12月16日(日)14:00〜17:30
■ 場所:お茶の水女子大学
■ 主催:「越境せよ!シンポジウム」実行委員会
■ 協賛:越境3.0、ジェンダーイコール、HIS、勝部元気(リプロエージェント)、Rainbow Tokyo 北区

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第1部「ジェンダーの枠を越えよう」/ 勝部元気・ジェンダーイコール
クイズ大会、トークセッション、グループワーク
第2部「国の枠を越えよう」/ 越境3.0
越境3.0 メンバーによるフリートーク
第3部「あらゆる枠を超えて自分の中にもダイバーシティを!」
参加者によるグループワーク・発表
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第1部「ジェンダーの枠を越えよう」/ 勝部元気・ジェンダーイコール

前回のイベントにゲストとして登壇していただいた勝部元気さんがモデレータを務める、「ジェンダーの枠」をテーマにした第一部のセッションです。

1. たられば妄想大会!

まず、グループワークからスタート!
もしあなたに(が)、お金があったら/ 時間があったら / 異性だったら 何をしたいですか?
グループの皆さんでワイワイ話しながら付箋にどんどん思うことを書いていきます!

2. ジェンダーバイアスクイズ

さて、ジェンダーの枠を超えるためには、まずは知らず知らずのうちにわたしたちに影響を及ぼしているジェンダーバイアス(=いわゆる「女らしさ」「男らしさ」などの固定観念に基づく偏った意識)について知ることが大切です。
ここでは、クイズ形式でジェンダーバイアスについて理解を深めていきます。さまざまな事例を見て、ジェンダーバイアスがどこにあるのかを考えます。
クイズの一部を抜粋してご紹介します。

例1: ベビーカー広告 (難易度★★)

これはまあとてもよくあるパターンです。
ベビーカーを押す人、子連れで帰省するのは女性だけなんでしょうかね。

例2: はたらくひと(難易度★★★)
絵本の見開きページです(著作権の都合上加工しています)。

お花屋さん、看護師、保育士は女性。消防士、裁判官、医師は男性。
潔いと言えるほどの職業ジェンダーバイアス、まさしく偏見ですね。これが何も知らない子供たちの目にふれると思うと恐ろしすぎます..
また、「女性が全員スカートを履いている」という参加者の方からの回答もありました。確かにですね。素晴らしい視点です!

例3: ワークライフバランス推進キャンペーン(難易度★★★★)
これはなかなか難しいです!

どうですか?わかりましたか??
「重りをつけただけで妊婦の気持ちがわかった気になっているようだ」などの鋭い回答もありました(全くその通りです)が..
ここでのバイアスは、「知事が妊婦に」→「知事」が「妊婦」になることがありえなさそうなことだ→「知事」=「男性」と決めつけているところにあります。

などなど、全員参加のクイズ大会でとても盛り上がりました!
参加者の方から「始めの方は、なるほどそうなんだ〜という感じだったけど、だんだんどんなところに着目すればいいかがわかってきて、自分で気づくことができるようになった」という感想をいただきました。
そうなんですよね。ジェンダーバイアスはあまりに普通に存在するので、疑問を抱くまでの道のりが長いんです。でも、あれ?なんかおかしいな?という視点で見ていくとおかしなことって本当にたくさんあるんです。
多くの方がそのちょっとした気づきを得ることができれば、偏った表現もどんどん減っていくのではないでしょうか。

こういった不特定多数の人の目にふれる表現とジェンダーの関係については、個人的には鶏が先か卵が先かの問題だと思っていて、両サイドからバイアスをなくすアプローチをとっていく必要があると考えています。
たとえば、「家事を担うのは女性が多いのは事実だから、ペルソナとして家事をする女性像が多く描かれることは合理的だ」という主張もあるでしょう。ただ、逆に考えると、家事をする女性像を多く目にするから子供たちが(大人も?)家事は女性のものだという意識を刷り込まれてしまっているのではないでしょうか。
発信をする側が、「今は実際に家事をするのは女性が多いかもしれないけれど、本来は家族みんなで分け合うものであると良いので、私たちはジェンダーバイアスを取り払った表現をしていきます!」みたいに、意思表示を含めた表現をしていただけるとすごくいいなと思います。

3. アンコンシャスバイアス事例大会

さて、クイズでジェンダーバイアスとはどんなものかを知ったところで、アンコンシャスバイアス(=無意識のバイアス)について考えていきます。自分自身の中にあるバイアス、世の中にあるバイアスを含め、以下のような事例が上がりました。

「仕事で年下の女性がいると「ちゃん」付けで呼んでしまう」
「小学生の子供にいつまでも赤ちゃん言葉を使ってしまう」
「子供がいる友達と会うとき、男友達には聞かないのに、女友達には「今日は子供どうしているの?」と聞いてしまう」

「サービスなどで、カップル=男女のカップルという前提が置かれていること」
これには、勝部さんも本を執筆するときに「恋愛関係」=「男女関係」と括ってしまってよいのか戸惑ったといいます。

「女子会はあるけど男子会はない」という事例も、飲みに行くのは基本的に男性というバイアスがあるから「女子会」というワードが存在するわけですね。「すっぴん」も、女性はメイクをするのが当然だというバイアスの元に存在するワードです。確かに男性には「今日すっぴんだね」って言わないですもんね。
ワードという観点では、現存する言葉そのものが偏っていたり、ある関係性を表現する言葉が存在しなかったりすることもよくあります。世の中全体の前提となるものが、何らかのバイアスを受けていることを反映しているなと思います。

そのほかに、「トランスジェンダーであることを理由にダンススクールへの入会を断られた」「保育士に転職したかったが、40代の男性であるため入学をやんわりと断られ叶わなかった」など、ジェンダーバイアス、アンコンシャスバイアスによって夢や目標を達成する道を断たれてしまったというお話をしてくださった方々もいらっしゃいました。これは今年明るみに出た医大の女子・浪人受験生差別と通じるものがありますね、、
属性によって一括りにして枠にはめて、そこからはみ出したものを排除することって、管理する側はラクなのかもしれません(考えなくていいからね)。でも、とっくに生き方が多様化している社会では多くの損失を生んでいるはずだと感じます。

4. グループワーク

さまざまなバイアスの事例を見てウォームアップした状態で、ここで始めの「たられば妄想大会」でそれぞれ挙げてもらったことに戻ります。
「〇〇だったらこれがしたい」、つまり「今の自分にはこれができない」と思っていることは実は無意識の枠に捉われているからできないだけで、本当はできることもあるのではないか?という視点でもう一回考えてみます。

参加者の方々からたくさんの面白い意見を出していただきました。
「女性になったらIT社長を捕まえる」→「女性経営者を捕まえる」
「女性になったらグラビアアイドルになりたい」→「ムキムキのイケメンになってインスタで発信する」
「女性になったらスイーツの食べ放題に行きたい」→「男だけど別に行きたいなら行けばいい」
「”男性になったらロン毛にしたい” と書いたけど、男性は髪が短いものだというバイアスにかかっていた」という自己分析をしてくれた方もいました。

そして、「自分が男性になったら、男性としてジェンダー差別をなくすための啓発活動を行っていきたい」「女性を対等な人間として見られるようになりたい」といった頼もしい意見も。

また、「なぜさまざまなところで男性・女性に二分されてしまっているんだろう?」という根本的な分析に入ったグループも。身近なところではトイレ問題で、現状日本ではあらゆる性自認の人が気兼ねなく入れるトイレがまだまだ少ないのだとか。この先、東京オリンピック、大阪万博とグローバルな催しが控えるなか、日本社会のジェンダーに対する意識は残念ながらまだまだ世界的に見て遅れているというお考えを話していただきました。

時代に合わなくなってきて、いろんなところでみんなにちょっとずつ窮屈な思いをさせている無用なジェンダーの枠。そこから一歩外に出て、心配事はできる限り減らして、みんなが自由にやりたいことができるようになれば素敵ですよね!

〜後編に続きます〜

品川女子学院の学生さ…

こんにちは!ジェンダーイコール篠原です。
品川女子学院高等部の学生さんより、「家庭内の男女格差」について調査をしているので話を聞きたいとオファーをいただき、学校まで伺わせていただきました。

品川女子学院

ヒロ○エさんのイメージだったんですけどね.. 世代的にね。
なんかすごい学校でしたよ。

品川女子学院は、その名の通り品川駅近くにある完全中高一貫の女子校です。
28プロジェクトとして、卒業後10年の節目である28歳という年齢をマイルストーンとして、社会で活躍できる女性を育成するという取り組みをされています。

ちょっと長いですが、サイトより理事長のお言葉を引用させていただきます。

女性の場合、出産の機会があり、仕事と家庭を両立させようとするとき、仕事から離れなければならない時期があります。日本の第一子出産退職率は約7割にもなると言われています。そういう女性たちが、その後また仕事に復帰しても、前と同じような地位や役割には必ずしも就くことができないのが現状です。

そこで本校では、専門性の高い職業を視野に専門職大学院などへの進学をめざした学習指導、社会で活躍できる高いコミュニケーション能力の育成、国際舞台での基礎スキルとなる英語能力の向上などに力を入れ、しっかりとした将来のビジョンを持って行動できる女性を育てることを目標としています。それがこの「28project」です。

出産や家庭と仕事の両立=女性の問題という前提自体、みんなが疑問に感じなければならない問題だと個人的には思っているのですが、、ともかく現状はそうなってしまうケースが多いですからね。
ライフイベントの変化に左右されにくいキャリアビジョンを描ける教育をする。ジェンダー格差解消途上の社会ではとても大事なことだと思います。

また、都内では16校(2018年11月時点)しかないスーパーグローバルハイスクールの認定校でもあります。

研究開発構想名: 学校と社会が連携し、「起業マインド」を持つ女性リーダーを育成する研究

なにこれカッコイイ..
「起業マインド」とありますが、実際に品川女子学院では実在の企業とのコラボレーションもされているみたいです。働いて何かを生み出すことの楽しさを学生さんが実感することができそうですよね。

家庭内ジェンダー格差

さて、彼女たちが授業の一環で取り組んでいる今回のプロジェクト。
数人でチームをつくり、社会問題をテーマに調査を進めます。そして解決策を考えて、まとめのプレゼンをします。
で、すごいのはこれだけじゃなくて、かなりしっかりコンペティション形式なんです。クラスで勝ち上がったプロジェクトは全体のコンペに進み、そこで勝てばなんとオーストラリアの提携校にて英語で発表するのだそうです!
わ.. ワクワクする..!!!
オーストラリア狙ってるの?という質問には、「もちろんです!!」と即答で力強いお答えをいただきました!

テーマは、各チームで自由に選ぶそうで、環境問題や若者の政治参画から、「宿題」についてなどなど多岐にわたります。そして、それぞれのチームにメンターの先生がつきます。
なぜジェンダーをテーマにしたのかというと、ちょうど東京医大の入試問題が発覚したタイミングでジェンダー格差について話し合ううちに、家庭内における格差に行き着いた、ということでした。まさに本質をついています!ブレイクダウンの方向性が素晴らしく的確だと思いました。
そして、ハッピーシェアボードを通じて家庭内ジェンダーギャップの解消に取り組んでいることを知り、ジェンダーイコールにお声掛けくださったそうです。

彼女たちがプロジェクトをどう進めていて、どう着地させようとしているかの詳細は、ネタバレになってしまうので割愛します。
アンケート調査による現状把握(しかもわりとしっかりボリュームがある)、外部機関へのリサーチ&アプローチ、プレゼンまでの着地点の決め方とその先の展望。発散と収束をうまくコントロールしているように見えました。
もちろん先生のフォローもあってのことと思いますが、短期間で他の授業も部活もやりつつですよ!数年後社会に出てきてくれるのが本当に楽しみです。
それからさすがデジタルネイティブだけあって IT リテラシーも非常に高く、ツールなんかはそこらの大人よりもしっかり使いこなしていて感心してしまいました。

進化する子供たち

自分の子供(小2)やその周りの子を見ててもよく感じるんですが、子供たちはわたしたちが10年かかってもできなかったことを2分とかでやっちゃうわけですよ(web検索とかね)。というか思いつきすらしなかったことが当たり前に存在する。人類の進化って素晴らしいですよね。
そう考えていくと、やっぱりジェンダー格差なんか単なる無駄でしかなく、とっととなくなれと思うわけです。

まさか高校生がわたしたちの問題を認識して言語化してくれるなんて思ってもいませんでした。頼もしい姿を見せてくださってとても嬉しかったです。
品川女子学院の皆様、ありがとうございました!

【イベントレポ:後編…

「消費されて終わり」の炎上問題

勝部:ジェンダーとはあまり関係が無いかもしれないがメディアと視聴者(国民)の問題がすごく強いと思っている。炎上のケースとか、今スポーツ選手のパワハラが話題になっているが、あれもすぐ消費されて終わりになってしまう。喉元過ぎればは正にその通りで、日大の問題など、みんなあれだけ怒っていたのに今はもう誰も意識していない。ターゲットにされるとぶわーっと広がってみんなが問題だ問題だと騒ぎ立てるけれども、東京医科大学の問題だって今ではさっぱりテレビで取り上げられなくなった。お祭り騒ぎだけをしたい人がいるのは事実。これは非常にまずいとは思うが、日本のテレビがワイドショー中心になっている以上、正直言って変わらない可能性もある。

本来、メディアがもっとしっかりしなければならないのだが、結局メディアもマーケッターなので、そういうネタが大好きな国民がたくさんいるという結果なのだと思う。そこを変えないといけないし、そこを変えるための教育も変えないといけないといった大変な問題。

苦労賛美が大好きな日本社会

篠原:日本人は感動を求める層が一定数いる。一時炎上したのぶみ氏の「あたしおかあさんだから」という母親の苦労を賛美する歌に対して、私自身はすごく気持ち悪いと思ったが、対して「すごく感動した」と言ってくる人もいる。感動したい層が多いからのぶみ氏は作るといった形でどんどんどん再生産している。それを聞いた全然関係なかった人たちも影響されていく。

日本人は苦労をしている人に共感しやすい側面がある。朝ドラでも苦労話が称賛されているし、甲子園の高校野球でも熱中症でどんどん選手が倒れているにも関わらず「やっぱり暑い中がんばっている姿を見たいよね」とう層が一定層いる。

感動という名の元に有害なものがどんどん生産されている流れになっているように思うがこれに対して2人の意見は?

勝部:甲子園の件はアメリカであれば虐待に値するもの。人権をオーバーしてしまったがんばりに対してもっと意識していく必要がある。
ただ、実際にそういう問題がどんどん顕在化している部分もあると思う。

日大のアメフト問題だって、ここまで放置されてきたのは必死にがんばる姿をみんなが好んでいたから。そして最近ようやく変わってきたのが組体操のピラミッド問題。あれは本当に危険性があると昔から指摘する人がいたにも関わらず、一部の親の中でどうしても10段ピラミッドが見たいという層が一定数いたっていうところが大きい。こういった問題の改善は非常に難しいし、政治で規制するというのも違うのかもしれない。やっぱり人権教育というものに対して子供だけではなく大人も考えていかなくてはならない。
変えていくにはおかしいということを表明し続けていくしかないのかなと思っている。先程の甲子園の件は毎年毎年声が大きくなっているので、もうそろそろ変わりそうな気がしている。

で、24時間テレビに関しても、やっぱり障害者に対して賛美しているが、当事者の9割が嫌っているという事実があり、本当にがんばっている側面しか見せていない。実際は障害者差別等があるにも関わらず、そこには一切触れていない。

平和平和と謳っているが、障害者ががんばって平和をつくるよりも、加害者の加害がなくなる方が平和になる。その辺のストーリーを見せてほしいなと思う。

政治もメディアも国民のレベル以上にはならない

篠原:時が経てば変わる?

勝部:でもやっぱり日本の速度は遅いので、そこでガツンと言ってくれる政治に期待してしまう部分もある。

篠原:おときたさん、期待されていますよ(笑)

おときた:結局政治とかメディアもそうだが、国民のレベル以上にはならないというのが大前提にあると思っている。

篠原:国民の方がレベルが高いということ?

おときた:結局国民が求めるものを報じているだけということ。メディアは視聴率が取れるから報じる訳である。でもこれには1つカラクリがあって、テレビというものは特に若い人はあまり見なくなっている。見ているのは団塊世代、団塊ジュニア世代位まで。彼らのマーケットに合わせると、感動を呼び、僕らも苦労してきたんだからお前らも苦労しろ、このやり方で日本を強くしてきたんだという価値観の押し付けが好まれる。民意のレベルは今そこに合わさっている。

これはテレビと選挙も全く同じで、投票率は40代50代のボリュームゾーンが圧倒的に多くて、20代30代の常識は我々は受け止めづらいという状況にある。
結論から言えば20年経てば変わる。今の上の人達がいなくなれば。ただ、それまで日本はこのままで良いのかということが大きな問題で、変化を加速させていくためには何が必要かということを常々考えていく必要がある。

政治の世界におけるヒエラルキー

おときた:少し話が脱線するが、僕は女性活躍を推進したくて政治の世界に飛び込んだ。まず若い男性が虐げられていることがわかった。3階層あって、トップがおっさんの男性、次がおっさんでない男性、そして女性、こういったヒエラルキーができていて、まずはトップを下に落とさないとどうにもならないという現実に直面していてまずはそこかなと思っている。

勝部:それと似た話で思い出したが、歌舞伎を誕生させたのは出雲阿国(いずものおくに)という女性だと言われている。それがいつの間にか色っぽいからという理由で女性が禁止になった。すると今度はイケメンがやりだした。でもそれも色っぽいという理由で禁止になり、結局野郎歌舞伎でおっさんがやるようになった。これも戻そうと思えば2段階踏む必要があり、まずはおっさん歌舞伎にイケメンを入れて、その次に女性も入れる。2回巻き戻さなければならない。

おときた:2段階革命が必要。いきなり女性というより、まずはおっさんじゃない男性から理解を深めていくことが今の政治には必要かなと感じる。

勝部:まあ、同時にやってほしいですよね。

篠原:女性側からしたら、「なんで男の方が先なの?」と思ってしまう。

おときた:それはその通りなんだけど、現実問題としてはそんな感じで、男性であれば良い訳ではなく、「おじさんかつ男性」しか今は権力を持っていないのが現状。

テレビも同じで、実はテレビ業界は取締役に女性が1人もいない。こんなに女性活躍だなんとか言ってるのに。要は意思決定権を男性が9割以上持っている訳なので、女性目線で企画を上げても弾かれている状況。まずはそこの権限委譲を進めていく必要があると考えている。

クオータ制について

勝部:先程の反転の話に戻るが、実は私はそこの所を楽観視している部分がある。
理由は今はグローバル社会だから。たぶん日本が反転したらいろんな国からフルボッコされることになる。東京医科大学の件も、いろんなところからフルボッコにされて、それでようやく気づく人たちもいるから多少その辺を使っても良いのかなと思う。例えばクオータ制をポンっと導入して政治の世界を強引に進めるのもアリじゃないかなと思っている。これが反転して逆クオータ制が生まれる可能性は日本ではあり得るかもしれないが、その前に海外から「日本は何やってんだ」という声が届く。結構日本は海外からどう見られているか気にして報道するような番組もたくさんあるので、そこが抑止力になるのかなと思う。

篠原:ちなみにクオータ制についておときたさんの考えは?

おときた:僕はクオータ制については割と賛成の立場です。パリのパリテ法や男女のペア選挙までやっていて、男女セットで出て当選する仕組みによって必ず男女が50:50になっている地方議会が実際にある。非常に興味深いと思っている。国単位だと難しい部分もあるが、地方都市で導入することはできるので実験的にどんどんやっていった方が良いと思う。ただ、そういったスモールスタートでやっていかないと、一気にいった時に反動が怖い。グローバル化は勝部さんの仰るとおりだとは思うが、僕らが見ているグローバル化はまだやっぱり欧米。イスラムの国とかインドのヒンドゥー教の人まで全部巻き込んだ時にどういう化学反応が起きるかは未だ未知数なところがある。最悪のクラッシュを防ぐことがミッションだと考えるともう少し熟議をしながら絶対反転しないところまで持っていきたいなと個人的には思う。

篠原:反転しないところまで土台を作ってからやりたいということですね。

おときた:100%までとは言わなしそこは程度問題。
組体操の話もやっぱり徐々にきて、もうどうしようもないよねっていうある程度の所まで来た時に一気に行って、たぶん甲子園もそのラインまで来ている。企業のCMの問題も徐々にそのタイミングが近づいてきていて、8割位の人が問題だと感じるようになればもう反転できない。そこまで持っていくためには地道にこういったイベントを開催したり、政治家も街頭活動で訴えたりとか、そういった活動が必要だと思う。

影響力を与えられるかどうかがポイント

篠原:1つ疑問に思ったんですが、組体操とか甲子園とかは人の命に関わる問題。でも女性がジェンダーバイアスで損をしても命の危険性はない。それでもやっぱり(組体操とか甲子園と)同じ流れに乗れるものなのか?

おときた:乗れると思う。後は例えばサイボウズの青野社長が夫婦別姓訴訟をしているが、ああいった象徴的なイベントは必要だと思う。
炎上CMに対しても、もし集団訴訟が起これば企業は訴訟リスクを抱えたくないので作らなくなる。企業は売れなくなることが死に値するので、それだけの影響力を与えられるかどうかがポイントになるのかなと思う。

質疑応答

篠原:私たちは今過渡期にいる。ジェンダー平等社会が理想的だと分かっていても実現できないのは、おときたさんが仰っていたようにお年を召した議員の方が権力を持っているという状況がある。でもその方々がいなくなるまで時を経なければならない。私たちは今間にいるから結構しんどいのかなと思う。自分は今30代だが、あと20年でガラッと変わる可能性もあまり無いように思ってしまう。若い方たちにはどうふるまっていけば良いか等色々考えてほしいと思って、こういうイベントを開催している。このトークセッションに対して、意見や感想等あればお願いします。

参加者:以前広告代理店にいたことがある。やはりCMはマーケットの意見を反映して売れるもの。なので今日紹介された炎上CMは確実に共感している日本人がたくさんいるということ。私の周りにママがたくさんいて、あのメ◯ーズに出てくる母親のような状況の人が多い。自分自身はあのCMにはちょっと違和感を感じるが、共感する人も多いんだろうなと思っている。
先日、結婚相談所に勤務されている方と話す機会があった。婚活において結婚に結びつけるために必要な要素として、男性は100%年収、女性は年齢と容姿、35歳以降になると大変厳しくなり、40歳を超えると条件を見直さないと難しい。お見合いの時は男性は女性がトイレに立った時に会計を済ませる、スタバでの割り勘などは絶対に禁止だと伝えている。女性には花柄など明るい色のワンピースを着てもらうことを勧めているとのこと。これが現実なんだと思う。日本人は実際、ジェンダーギャップがある事を喜んでいる傾向も事実としてある。楽しんでいる人もいるし違う人もいる。最終的に何が大事かというと、いろんな価値観の中で自分の価値観を確立させること。メ◯ーズのCMに対して紙おむつを使うこと自体がダメで布おむつでなければというママもいる。そういう人たちからは紙おむつを使うこと自体を楽してると言われる。議論をやりだしたら否定されることしかなくなる。そういう時に「自分はこういう生き方をするんだ」というレジリエンスや自己肯定感の強化というところがこれからは大事になってくるのかなと思う。花柄のワンピースを着ろと言われても「私は紺のワンピースでかっこよく行きたい」というような強さを持つことがすごく大事なのかなと感じた。

おときた:非常に本質的だと思う。僕も政治家として目指す社会は「オプションが多い社会」と謳っている。選択肢の多い社会が一番良い。これがダメあれがダメだではなく「それぞれが良い」が良い。僕が規制に対してネガティブになるのは、これはダメではなく、そういう考え方もあるけれども私は私といったどちらも認め合えることが一番の理想な社会だと思うから。
自分らしく生きることを否定せず好転換を持たせていく社会を作るということは非常に大事だと思っている。

篠原:他人の選択を応援できるかどうかがすごく大事。今は対立になってしまうからこういう問題が起きる。
ジェンダーギャップがあるから喜んでいる人がいることは事実。でもそういった人を否定しないためにはまず自分を肯定することが大事なんだと思う。

勝部:ちょうど昨日、婚活アカウントをチェックしていた。確かに非常にジェンダーロールが激しくて、「男性はヒーローでいたい」とかまるで平成の最後の夏に昭和のドラマを見ているような世界観だった。実際そういう世界観を推奨している雑誌も多い。でも翌々考えてみてほしいが、それで結局少子化が改善した国はどこにあるのか?実績を出した国がやった事は真逆で、例えばフランスだったら結婚制度しかなかったのをPACSというパートナーシップ制度を用意したことで、今まで結婚制度になんとなくマッチしていなかった人達がドバっと押し寄せた。スウェーデンでも同じようにサンボという制度を用意した。選択肢を用意することは大事だと思う。日本の場合、マジョリティの価値観や一番良いものしか選ばれない傾向にある。花柄のワンピースを着たら、男性100人中11人が良いと言うかもしれない。紺という人は3人位しかいないとする。でもマジョリティである花柄だけが大正解扱いをする。これに沿っていないからあなたはダメだとかいう話になってしまう。年齢とか相手の背景を気にしない人も実際にはいるはずだが、筆頭意見ではないから無視される。筆頭意見だけがピックアップされてこのレールに従えという雰囲気の社会が問題だなと思う。こういう社会を変えていきたい。

篠原:ありがとうございました!!!


いかがでしたでしょうか?
メディア規制と表現の自由、相反する意見の持ち主が討論することで考えさせられることも多く、非常に多くの学びがありました。
来場者のみなさまにも満足していただけたようです。

勝部元気さん、おときた駿さん、有意義なトークセッションをありがとうございました!!!

【イベントレポ:中編…

おときた氏がコミケに行く理由

勝部:おときたさんは毎年夏と冬に開催されるコミックマーケット(以下、コミケ)に行かれていると思うが、その理由は?

おときた:僕は「表現の自由」が非常に大事だと思っている。卑猥な表現とか、コミケにふさわしくないといった理由で、販売禁止にされたり、描くのをやめろと言われることは「表現の自由」に警鐘するだろうと考えていて、政府がそういう規制をすることに反対をするという立場を取っている。

勝部:芸術や文学など、さまざまな表現の自由というものがある中でコミケを選択する理由は?人がいっぱいいるから?(笑)

おときた:そこは否定はしません(笑)ただ、コミケはLGBTといった多様性の象徴的なイベントという部分が大きいです。
コミケがあそこまで大きくなった理由としては、昔「やおい」と言われていたボーイズラブなどの作品が売れるところがコミケしかなかった。
そういう人達が集まってきたが、彼らは実は表現の自由という考え方に疎くて、あまり自分達の権利などに関心が無いので、我々が訴えかえていると言ったことが我々の活動主旨です。

勝部:表現の自由を求めている方々の話を聞いていると、規制に対して何をもって反対しているのかがわからない。
「わいせつだから反対」ということには私も反対。性的な表現があって良い部分もある。
私は一部規制は必要だと考えていて、「わいせつだから反対」ではなく、それを見たくない人に届くから反対。
あと、ある種暴力的な表現も反対。という点から反対だと言っている。
そもそも「わいせつ性か否か」といった戦いといった文脈ではない気がしている。

メディア規制のリスク

おときた:勝部さんは、メディア規制についてジェンダーバイアスを加速させるようなものは国とかそういうレベルで規制すべきではないかとい立場。今日の参加者のほとんどが同じ意識だと思う。

私も考えていることはみなさんと同じではあるが、ただ、僕はそれを政府が規制することには極めて慎重な立場を取っている。

おときた:話を戻すと、わいせつの基準は一体誰が決めるんだという話になってくる。

たとえば、一部の人が決めることになって、「これはわいせつだから販売禁止」としてしまった場合、その人が我々とほとんど同じ価値観でジャッジしてくれれば良いが、そうではない人がなった場合のリスクがどうしても捨てきれない。なのでそこは慎重であるべきだと思っている。

わいせつか否か

勝部:私は「わいせつ性か否か」を論点にしてはいけないと思っている。たとえば、以前ろくでなしこさんというアーティストの方がわいせつな表現をしたということで逮捕された事件があったと思うが、あれはどうみても、彼女の表現以上にわいせつなものなんて世の中にいくらでもあるし、恣意的な介入があったものだと思っている。だから「わいせつ性か否か」という基準で規制をかけてはいけないと思っている。

ただ、私が言いたいのは、わいせつ性を基準にする必要があると思っている。一般市民にはいろんな権利があると思うが、その中に「自由」がある。自由というものは「したい自由」と「されたくない自由」があると思う。イギリスのバーリンという政治哲学者が提唱した「積極的自由」と「消極的自由」という概念がある。要はどちらも大切であり、どちらも認めなくてはいけないものだと思っている。このバランスを規制するのが政府の役割だと思っている。

例えば、ヨーロッパではナンパ(キャットコール)が禁止になっている。これは、ナンパしたい自由とされたくない自由で、実生活上どちらが有利かを考えて「(利益が低い)されなくない自由」の方を守った方が良いのではないかという話になった。こういう「されたくない自由の保証」といった意味合いの規制が必要だと思っている。

おときた:私も民衆の合意ライン、政治用語ではいう公共の福祉、公序良俗に反するものは規制されるべきであり、みんなの合意の元で決めたルールに従って線引きされるべきものだと思っている。

ただ、非常に判断の難しいのは、ナンパとかセクハラは、する側とされる側が必ずしも認識している訳ではなく、発表するによって「実は嫌だったんだ」ということがわかる行為になる。主体と客体が入り乱れている点が非常に難しい。コミケの場合、「ほそぼそと販売することの何が悪いんですか?」という話になるし、たまに置きたい本屋さんに置いてもらうだけなのにそれすらも許されないのかという話になってきた時に、セクハラ以上に難しい判断が問われると思っている。

最近千葉県でいわゆる青年向け雑誌は販売しないという判断をしたコンビニがあるが、その過程には主張と主張の対立があったと思う。それをお上からズバッと判断する制度を作ることは、極めて慎重であった方が良いと考えている。

なぜ私がこんなに慎重になっているかというと、LGBTやジェンダーバイアスの問題でいえば、できれば政府に禁止してほしいと思って当然だと思う。一向に意識の変わらない日本に対して規制をかけたいという気持ちはわかる。でも絶対に考えなければならないのは、そういったやり方というのは「反転の可能性がある」と思っておかなければならない。

今の政府とか民意の流れの中で制度が作られることは今の私たちにとってはハッピーかもしれないけれど、全然違う価値観の人たちが権力をにぎった時に、全く逆のことをされても文句を言えなくなってしまう。

国を侮辱するような事を言ったら逮捕だということも「みんなで決めた法律なんだから認めますか?」となった時に認めたくないと思う。

そういう「反転の可能性」が権力にはすごくある。だからこそ慎重に世論を調整する必要がある。大体みんなが納得したよねというところまでレベルを引き上げることが民主主義のあり方だと思っていて、残念ながら今の国家にはまだメディアの規制ができるほどのレベルには達していないというのが僕の考え方。

例えば、母親しか出てこないメ◯ーズのCMで「これは規制しなきゃダメだ!」と業界や政府が当たり前のように訴えるレベルには達していない。

民主主義の問題意識が日本的

勝部:民主主義の問題意識が日本的だと思っている。

例えば、近年ジェンダーの問題で規制をかけた国で反転したケースがあるかというとぶっちゃけ聞いたことがない。ジェンダー先進国では基本的は反転しないと思っている。

なぜかというと、やはりそれらの国では人権というものが非常に尊重されていて、自由、平等などの権利の保証が前提であり出発点になっている。ところが日本はそうではない。同調社会の国なので、例えば学校でいじめがあり殴られた場合でも本来は刑法が適用されるはずなのに、空気を乱している方がダメだとか、要はいじめられる方が悪いといった意見が尊重されてしまっている。

本当は憲法に書いてあるはずの人権がなぜか学校や会社などの狭い世界では守られないということが多々生じている。
そういう世界だと確かに反転しやすいというところはあると思う。

だから単純に規制というものだけを取り出して適用すると、危ないなという点はあると思う。だからもっと個人とか人権を大切にする社会にすることとセットで行う必要があると思っている。

おときた:確かにジェンダーの例でいうとこれまで反転した例はないし、僕ももちろん反転しないことを信じたいと願ってはいる。ただジェンダー以外の例で見た時に、反転することが多々起きている。

例えばトランプ大統領の場合、ポリティカル・コレクトネスに対する反発があったのは確かだし、イギリスがEUから抜けた事も理想主義的に言えば、そんなことはあってはならないのだが、移民への反発やダイバーシティへの反発などで、民主主義がやや反転することは現実問題として起き得る。そうならないための土壌をどう作っていくかが大事。

僕がなぜそう思うかというと、今の都議会とか国会に行けば、おっさん政治家の大半は僕らと違う考え方を持っていて、ジェンダー問題提起を意識していない人が7割位だと思う。こんな状況の社会で規制を作ろうといっても絶対無理な訳で、もっと女性議員を増やしていかないとなかなか一足飛びに規制という話にはならないだろうなと思う。

時代が変わるのを待つという方法もあるが、それでは遅すぎる。
僕はもっとムーブメントを投票率や投票結果に反映させていく方法を考えていかなければならないと考えている。

metoo運動について

篠原:最近、metooとか、SNSが発展してきたことでメディアの炎上事例も減ってきた。1人が声を上げることでみんなが同調してそれが企業に届いて炎上が減っていている。でも逆にそれを潰す勢力も出てきているのかなと思う。セクハラ問題など、声を上げる人が叩かれるケースがある。一般人同士の対立についてはどう思うか?

おときた:「共感が社会を変えていく」ということに関してはもちろん賛成で、むしろこれしか突破口は無いと思っている。不買運動など◯◯は買わないなどといった行動は意思表示として「あり」だと思う。それによって企業側は売り上げが下がれば彼らは賢いので「このやり方はダメだったんだ」と受け止めて変化していく。

ただ、metoo運動などで僕が気になるのは、個人に対する裁きを社会や集団でやっても良いのかという点。その辺はすごく慎重になる必要があると思っている。それを防ぐための法治国家であり、法律やエビデンスに基づいて裁判をやりましょうよというのが我々の合意事項なはず。なのに裁判で無罪不起訴だったにも関わらず「あの人は間違っている」とネットで拡散されることは、一見正しいようにも見えるが、自分が反転立場になった時の事を想像して、ちょっと立ち止まって考えるべきではないかと思っている。

勝部:それに関して私は「法治国家の不備」が原因ではないかと考えている。セクハラの問題なんて、法治国家がしっかり機能していればmetoo運動なんて起こらない。
あれは法治国家が機能していなくて、セクハラの状況という犯罪の状況があるにも関わらず、加害者が罰せられないという鬱憤が溜まった爆発だと思っている。

metooのような個人攻撃、社会的制裁を無くすためには法による制裁をしっかり機能させる必要がある。それがアメリカにおいてもまだまだ機能していない現状がある。日本なんてもっともっと機能していない状況にあるので、法治国家というものをもっともっとブラッシュアップさせることが今後の課題だと思っている。

おときた:勝部さんがおっしゃることはごもっともで、その問題をみんなが思ってくれれば良いと思う。しかしmetoo同意者の8割位はたぶん表面的な個人攻撃になってしまっている。攻撃するなら個人ではなく、社会のシステムや風土に対してみんなで声を上げていくことがあるべき社会だと思う。それを1人のこととか1つのケースになると正しさが証明できないし、運動自体も蛸壺化してしまって広がりが持てなくなる。最近アメリカでも言い出しっぺの1人も事件を起こしていたというニュースがありネットで炎上している。結局個人に寄ってしまうと、もしその個人が事件を起こした時に全部流れが反転して、「やっぱりねー」「意味なかったじゃん」ということになってしまう。なのでそういう所に限定してはいけないと思っている。

篠原:SNS社会の良いところでもあり、難しいところでもありますね。

何が悪いのかを一歩考えることが大事

おときた:コントロールができないし、意見を上げやすくなったのは良いが、そうなった時にちょっと立ち止まって、何が悪いのかを一歩考えることが大事。
短絡的に「この人がダメ」と言うのではなく、なぜこんな事が起きたのか?とかその背景には何があるのか?を考える必要がある。そこには法治国家の不備があるのかもしれないし、企業の商業恣意があるのかもしれないし、政治のシステムが悪いのかも知れないしという所まで考えなければムーブメントではなくただのお祭り騒ぎで終わって社会運動にはならない。だから今metooは狭間にいると思う。ちゃんとした社会運動になれるのか、ただのSNSでのお祭り騒ぎで終わってしまうのか。まだボーダーにいるように僕は思う。

勝部:財務省がセクハラ防止研修をやったりとか実際に動いてはいる。全然まだまだではあるが、あれは一応つながっているとは思う。

おときた:それこそ「喉元過ぎれば熱さを忘れる」にならないようにする必要がある。もう既に財務省あたりは忘れはじめているフシがある。次の選挙の結果にまで繋げられないとなかなか危機感が出てこない。
僕はやっぱり政治家だから選挙を細かく見ているが、その盛り上がったところが、選挙には全然反映されてこない。若者の投票率が上がったかと言えば目に見えては上がっていない。その部分にもう1個ブリッジをかけられるかどうかが日本の社会運動の大きな課題であり次のステップかなと思っている。

後編につづく〜