【性差別】ある男性が…

【性差別】ある男性が「女性の名前」を使って仕事をしたら“地獄” を経験 / 社会に根付く問題の深さを痛感したらしい gender=ニュース

ロケットニュース24  Nekolas 2017年3月16日

ひと昔前に比べると職場における男女平等は進んではいるものの、それでも給与や条件の差がナカナカ縮まらないことを指摘する声は今も根強い。

そんななか、ある男性が「女性の名前」を使って仕事をしたらトンでもない性差別を経験! 社会に根づく問題の深さを実感したという件を紹介したいと思う。

・女性の同僚のアカウントで顧客とメールしていた!
米エンターテイメント情報サイト『Front Row Central:フロント・ロー・セントラル』の編集部に勤めるマーティン・シュナイダーさんは、ある偶然の出来事により、社会に深く根付く性差別を痛感することになったのだという。

ある日、彼が仕事に関するメールを顧客に送ったところ、なぜか失礼な反応ばかりが返って来て、仕事が全く能率的に進まなかったのである。あまりにも顧客の態度が否定的なため一体何事かと首をかしげていると、彼は同僚のニコールさんのアカウントでメールにログインしていたことに気付いたのである!

・社会に深く根付く性差別を痛感!
そして、マーティンさんは顧客が彼を男性ではなく、女性だと思っていたから態度が失礼だったのではないかと考えたのだ。そこで、「実はマーティンです。ニコールのプロジェクトについて僕が代わりに対応していました」と伝えると、相手の態度が激変!

瞬く間に状況は好転し、滞っていた話がトントン拍子に進んだのだとか。彼は顧客への対応を変えていた訳でもなんでもなく、ただ違うのは男か女かというだけである。

・‟女” として仕事をする社会実験を続行!!
思いがけない経験をしたマーティンさんは、どこまで業界に根付く性差別がひどいのか、ニコールさんとアカウントを入れ替えて仕事を続行することに。

すると、マーティンさんは ‟地獄” を経験することとなったのだ! 彼の企画や提案は全て真剣に受け止められず、上から目線で対応されたりで散々な目に遭ったというのである。なかには、ニコールさんだと思っているマーティンさんに、彼氏はいるのかと聞く顧客までいたのだそう。

対するニコールさんは、顧客が彼女を男だと思っているので効率的に仕事が進み、‟天国” を味わったとのこと。2人の仕事の能力に変わりはないのに、男と女かというだけで、ここまで対応や評価のされ方が違うことにマーティンさんは怒りを感じてしまったと語っている。

また、そんな状況にニコールさんが慣れてしまっている事実に、ショックを隠し切れなかったという。彼は自分の経験をSNSでシェアし、彼の投稿を読んだ男性が女性に対する言動や態度を見返し、改めてもらえたら嬉しいと語っている。

参照元:Twitter @SchneidRemarks、METRO(英語)
(編集担当:Nekolas)

諸外国における女性の…

くるみ
こんにちは!ジェンダーイコールの篠原くるみです。
前回、田渕さんが、ジェンダーギャップの小さいイメージの強い北欧における高福祉的社会構造と宗教の関係性について歴史的観点から執筆してくれました。今回は、わたくし篠原が数々のジェンダー関連本を読みあさるなか、欧米諸国ではなぜ日本に比べて女性の社会進出が進んでいるか、もっとも腑落ちした仮説をご紹介します。

(さらに…)

「福祉」という概念の…

こんにちは。ジェンダーイコールの田渕恵梨子です。

みなさん、子育て政策に充実している高福祉国家といえば、スウェーデンやノルウエーなどの北欧諸国を思い浮かべませんか?そしてフランスはここ10数年で結婚や子育ての価値観が急激に革新し、アメリカは低福祉・低負担の自己責任意識を貫き、日本や韓国は未だに家族主義の思想から抜け出せていない印象を受けます。

私はこの問題は従来の固定観念から脱却できるかどうかが論点だと考えていました。
ですが、柴田悠氏著「子育て支援と経済成長」によるとおもしろいことが書かれていました。

福祉の概念が国のエリアによって差が出ている点に着目し調査した結果、宗教の歴史が大きく関わっていたそうです。
とても興味深い内容だったので、こちらでご紹介したいと思います。

ドイツの神学者「マルティン・ルター」について

みなさんは、ドイツの神学者である「マルティン・ルター(1483年~1546年)」についてご存知でしょうか?
私は知りませんでした(汗)。
ルターは、当時ドイツ国内でカトリック教会が教会の運営や貧しい人々を助けるための資金稼ぎとして盛んに販売していた贖宥状(それを買えば罪の償いが軽減される)に対して疑問を抱き、教会主導ではなく「住民の共同基金による救済」を発案した人物です。

時は16世紀のヨーロッパ。当時、カトリック教会は「これを買えば天国に行ける」と贖宥状(しょくゆうじょう)=免罪符をたくさん発行していました。

そもそも立派な教会を建てるカトリックは、財政難に陥りがちでした。また、病人や貧困者を救護院(ホスピタル)に収容して救済する「チャリティー」(慈善活動)にも、お金がかかります。そこで、贖宥状を販売し、信者から差し出されたその寄付金で貧しい人を救うという、いわば一種の社会保障を、カトリック教会が宗教的な活動として行っていたのです。

この贖宥状の発行を批判したのが、ドイツの神学者マルティン・ルター(1483〜1546)でした。ルターは貧しい人を救うことは善しとしていましたが、贖宥状の発行には反対の立場を取っていました。というのも、「お金を払って贖宥状を買えば、天国に行けますよ」というカトリックの教えは、「神の心はお金で買える」ことを意味しているからです。人間が作ったお金というものに心を動かされてしまう神など、ほんとうの神ではない、だからカトリックの教えは間違っている。そうルターは思ったのです。

〜中略〜

そこでルターは、発想の転換をしました。
つまり、貧しい人を救う活動は教会が行うのではなく、住民たちがお金を出し合って作る共同基金によって行うべきだ、と提案したのです。
そしてその基金を使って、働けない貧困者・病人・孤児の生活保障(現金給付・現物給付)や、語学教育・職業訓練(サービス給付)までも行うべきだと提案したのです。西洋史上類を見ないこうした公的基金による給付型の貧民救済策によって、ルターは、カトリックがそれまで行ってきた貧民救済と、教会とを切り離そうとしました。

ここからルター派宗教改革が広まります。

こうして北欧は高福祉国家になった

ルターはドイツ人でしたが、ちょうどその頃、スウェーデンの神学者がドイツに留学しルターを師事して改宗した後、スウェーデンに帰国しています。詳しくは割愛しますが、その神学者の主張が当時のスウェーデン国王に擁護され、国内全土で宗教改革を推し進めた結果、カトリックが姿を消し、ルターの教えが全国規模に拡大したそうです。現代の公的な給付型の社会保障制度は16〜17世紀にこのスウェーデンから始まり北欧諸国に広まったのです。
ルターはドイツ人だったと述べましたが、なぜドイツでは広まらず、北欧諸国でのみ拡大したのでしょうか?
その要因の1つとして、地理的な要因があるようです。

つまり、北欧は、カトリックの本拠地イタリアから、「遠く離れていた」ということです。距離がある上に、間にバルト海まで挟んでいますから、北欧諸国の国王たちは比較的好きなことができたのでしょう。

う〜ん、なるほど。私の勉強不足を露呈しますが、初めて知った歴史です。
こうして北欧諸国に高福祉の考えが浸透し、現代まで受け継がれるようになりました。

低福祉国家・アメリカ

次にアメリカを見てみましょう。
ルターの宗教改革後に、さらにもう1人の宗教改革の立役者として登場したのが、フランス生まれの神学者「ジャン・カルヴァン(1509〜1564)」です。今日はルターの存在を詳しく書きたかったので、カルヴァンについても割愛しますが、超ざっくり言うと資本主義の精神を普及させた人物です。

もともとイギリスでのカルヴァン派による宗教改革によって誕生したイギリス国教会は、カトリックの本拠地イタリアが近く、政治的な影響もあったため、カルヴァン派とカトリックの折衷案のような教義になりました。そのため、純粋なカルヴァン派の人たち(ピューリタン)は、イギリス国教会から弾圧を受けるようになったため、それを逃れて北米大陸に渡りました。彼らがそこで作った、世界で最も純粋なカルヴァン派の国、それがアメリカなのです。
純粋なカルヴァン派である彼らは、神の愛の兆候を確認するために、禁欲的な生活をしながら、利潤をどんどん再投資したいと考えていました。そのためには、利潤(所得)にかかる税率はできるだけ低いほうがいい。税率が高いと、そのぶん手取りが減って、再投資に使えるお金が減ってしまうからです。そのようなカルヴァン派の考え方が根底にあるために、アメリカは税率が低く、社会保障が乏しい低福祉の国になっていったのです。

こうして、アメリカはカルヴァン派によって低福祉国家になった訳です。

フランス、ドイツなどの西欧諸国

フランスやドイツはどうでしょうか?
カトリックの歴史の長いフランスやドイツなどの西欧諸国は社会保障はやや保守的な国家だそうです。

フランスやドイツなどの西欧諸国は、社会保障はかなり手厚いほうですが、北欧諸国と比べると、その比重は高齢者福祉に偏っていて、子育てはまだ家族(主に女性)に任されている部分があり、やや保守的です。とはいえ、これらの国は1990年代以降に女性の職場進出が急速に進み、それを後押しするように、子育て支援がだいぶ充実してきました。

とはいえ、昨今では多様性を受け入れた子育て支援制度が充実しています。特にフランスは、PACS法(パートナー制度)や同性婚の受け入れなど、昨今は現代モデルの最先端を進んでいる印象を受けますね。

イタリアなどの南欧諸国と中国・ロシア

カトリックの本拠地であるイタリアを含む南欧諸国はカトリック的伝統が強いため、それから中国やロシアは当時すでに共産主義的な家族システムが普及していたため、ルターやカルヴァンの思想は定着しなかったようです。
確かにこれらの国々は保守的なイメージです。

日本と韓国

最後に日本や韓国にも触れておきましょう。言わずと知れた男尊女卑の家族主義。当団体も未だに日本で女性の社会進出が思うように進まないことにジレンマを感じて立ち上げた訳ですが、なぜこんなにも他国に遅れを取っているのでしょうか?
日本に関しては、このようなことが書かれていました。

そもそも日本では、長い歴史のなかで、キリスト教やあるいはそれと同様の人類愛を軸とする宗教が、少なくとも江戸時代まではほとんど普及してこなかったからではないでしょうか。かわりに日本で長く信じられてきた宗教は、神道と大乗仏教でした。とくに、広く民衆の苦しみに寄り添ってきたのは、救済(慈悲)の教義が色濃い大乗仏教でしょう。
大乗仏教では、「生命はすべて仏性を持っていて尊い」(一切衆生悉有仏性)と考えられており、人間と動物を分け隔てしません。どちらも等しく尊いのです。ですから、「動物のことは無視して人間だけを制度で救おう」という考えがなかなか出てこなかったようです。

韓国は儒教の国として有名です。年長者を敬い、血縁優先、父系社会を軸とした、上下関係で秩序を守る風習が、今でも韓国の人々に根付いていると言われています。今では随分緩くなってきているとは聞きますが、この考え方だと子育ては女性という価値観が強いでしょうから、なかなか子育てに手厚い福祉といった考え方には近づきにくいのかもしれません。そして日本にも少なからずこの儒教の考え方が浸透していることも事実です。

まとめ

いかがでしたか?国毎に福祉の概念が違う点を全てこの宗教の歴史で片付けるつもりはありませんが、要因の一つではあるように思います。
ちなみに、もっと現実的な理由として、国の財政余力が影響しているといった要因もあります。こちらについては篠原さんが執筆してくれると思いますので、お楽しみに!

日本では女性の地位が…

日本では女性の地位が低いって? 「レディースデー」や「女性専用車両」があるのに…=中国– gender=ニュース

@niftyニュース 村山健二 2017年03月14日 10時12分

男女平等の意識が高い中国では、日本女性の地位はいまだに低いという認識があるようだ。しかし、実際にそうなのだろうか。中国メディアの人民網は10日、この認識が正しいのか検証する記事を掲載した。

記事はまず、日本を「男女不平等の社会である」と断定。あえて意識はしていなくても、この概念は知らず知らずのうちに生活に深く入り込んでいるため、生活のいろいろな面に表れているとした。例えば、世界各国の男女平等の度合いを指数化した世界経済フォーラムの2016年版「ジェンダー・ギャップ指数」では、日本は世界で111位だったという。特に男女の所得差が大きく、日本では女性が男性の約半分に過ぎないことも分かったという。

しかし、これが真実の日本なのだろうか。記事は、日本では他国のように女性が男女平等を声高に叫ぶことはなく、むしろ「男性が不満を持っている」と主張。その根拠として日本の数々の看板や日常の風景の写真を掲載しながら現実の日本について紹介した。

例えば、「女性専用フロア」の看板。男性のみでの入店はお断りで、女性だけ、あるいは女性同伴に限り入店することができる。この看板があったため、プリクラが撮れなかった70歳のおじいさんと孫がいたというが、同様のケースは多いと思われる。また、「男性のみとペットはお断り」という看板もあり、こちらも男性のみの入店は拒否されている。

トイレでも日本の男性は差別を経験しているという。居酒屋やレストランのなかには、女性専用と男女共用にわけてトイレを2つ用意している店があるが、この場合男性専用のトイレはない。以前は大抵どこでも共用のトイレしかなかったため、男性たちはうっかりすると女性専用に入ってしまい、この「親切なサービス」のおかげで冷たい視線にさらされることになると論じた。

「レディースデー」や「女性専用車両」も同様で、メンズデーは少なく、電車の男性専用車両に至っては聞いたこともない。記事は、これは不公平なことで、痴漢冤罪問題もあるので「男性専用車両」を作って守ってもらわなければ困るとの男性側の悲痛な意見を述べている。

こうしてみると、日本は確かに「男女不平等」な面があるが、必ずしも女性にとって不利益なことばかりではなく、男性も不便や不利益を被っていると言えよう。海外のイメージがどうであれ、日本は女性にとって過ごしやすい社会であるというのは間違いなさそうだ。(編集担当:村山健二)

「ワンオペ育児」私の…

「ワンオペ育児」私のことだ 夫不在、助けなく破綻寸前(朝日新聞digital) – gender=ニュース

朝日新聞digital 仲村和代 2016年12月3日07時41分

「ワンオペ育児」。母親たちの間で、そんな言葉が広まりつつあります。牛丼店などで従業員1人が全ての業務を切り盛りすることで問題になった「ワンオペ(ワンオペレーション)」が語源で、育児や家事を1人で担い、破綻(はたん)寸前の状況をあてはめています。背景にあるものは。 (さらに…)

「家族とジェンダーを…

■開催日程:2017年1月27日(金) 18:00~20:00
■場所:東京大学赤門総合研究棟2階 A200番教室
http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/240-s-1-1.pdf
■主催:日本学術会議

1月27日(金)、gender=のメンバー3名で東大で開催された日本学術会議主催公開シンポジウム「家族とジェンダーをめぐる法律案・政策がはらむ諸問題」に参加してきました。
このイベントはTwitterで本多由紀さんのツイートを見たのがきっかけ。Twitterはちょうど約1ヶ月前頃にスタートしましたが、このタイミングで初めていなければこのイベントの存在には気づかなかったでしょう。
全てのタイミングは、運命でつながっているように感じます。

法律・政治経済、詳しい分野ではないので正直難しかったところも多かったのですが、ジェンダーについて考えるにあたって必要不可欠な視点であると感じました。以下にレポートをまとめます。

家庭教育支援法案について

二宮 周平(立命館大学法学部教授)

【法案の内容】
家庭教育支援法案

平たく言うと『家庭で親が子に、国や社会で役に立つ人になるための教育をしましょう』『国や自治体はその手助けをします』ということ—24条変えさせないキャンペーンより

【概要と問題】
◎平たくいうと・・・
「家庭で親が子に、国や社会で役に立つ人になるための教育をしましょう」→「国家に従順な子を育てましょう」
◎国の狙い
「国家が家庭内教育をコントロールして、国家に都合が悪い人材をできるだけつくり出さないようにする」→「狙いは国民を“イエスマン”に仕立て上げ、戦争でも何でもできるような体制づくりにする」
◎国の目的
「先の戦時体制で政府が持っていた治安維持のための法的ツールを取得しようとしている」→「国はあきらかに戦争の準備をしている」

  • 家庭教育の名の下に、国家にとって都合の良い価値観が押し付けられる危険性がある。
  • 対抗軸としての「子どもの権利条約」では、「養育」と「教育」は別物である。親が責任を負うのは養育であって、家庭は教育の代替機関ではない。
  • 人格形成に国家化が口出しするということは、道徳の押し付け→伝統の継承→性別役割分担の再生産に繋がる危険性をはらんでいる。
  • 法案に盛り込まれる内容は、条例制定の促進効果を持つ。ひそやかに変えられる法律をきちんとウォッチしていかなければ、少しずつ少しずつ国の思惑通りに国民のありかたが引っ張られていく怖さがある。
  • 親子断絶防止法案について

    千田 有紀(武蔵大学社会学部教授)

    【法案の内容】
    離婚後、子と別居親の面会交流を義務付ける

    【概要と問題】—親子断絶防止法案の問題点―夫婦の破たんは何を意味するのか

  • 個別の事例(特に、認定の困難なDVなどの高葛藤事例)に配慮せず、子供本人が会いたくない場合の意思は認められない。
  • 一律に「会わせることがよいこと」としている点に問題がある。
  • 共同親権にすることで養育費を支払わない別居親(おもに父親)も多く、子供やシングルマザーの貧困を招いている。
  • 親権はもらったら終わりではなく継続のためには監視が必要。
  • 日本では、ここに介入できる専門家の数も力も不足している。
  • 公的な機関による強力な介入を是とするか否か、選択をする岐路にきているのではないか。
  • 自民党憲法改正草案について

    若尾 典子(佛教大学社会福祉学部教授)

    【法案の内容】
    自民党改憲草案24条1項 家族の「意義と任務」 

    家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

    【概要と問題】

  • 日本的ナショナリズム。安倍政権は類を見ないナショナリズム政権である。
  • 改憲草案は、「立憲主義・天賦人権説・個人主義」の否定である。個人は家族に内包されるものであり、国・社会においては存在し得ないということ。
  • 八木秀次(1996)の夫婦別姓否定論は、個人主義+フェミニズムが、伝統・文化を否定し、結果子供が被害者になっていると論じた。2012年からの「保護者の第一義的責任」へのフォーカスは、子育ては親の自己責任と帰結しており、児童福祉法への攻撃である。
  • 「官製婚活」について〜「家族」に介入する国家〜

    斉藤 正美(富山大学非常勤講師)

    【概要と問題】

  • 国家が「家族のあり方」に介入している。
  • セクハラまがいの指導・行政からの孫請け団体による実施など責任の所在が曖昧なこと・個人情報のダダ漏れ等ツッコミどころが多数。
  • そもそも、家族形成という極めて個人的なライフイベントに国が介入すること自体、近代国家としておかしなこと。
  • 早婚や多産があたかも善であり、若者みんなの希望であるかのごとく誘導するようなパンフレットの配布も問題である。
  • 社員→企業→国家「人口減少に歯止めをかけることで社会貢献ができる」⇒国家が中心にある考え方で良いのか?
  • 「そんなことだから、結婚できないのよ」、「(女性)をお持ち帰りして下さい。どっかつれて行きなさい」といったセクハラ的指導が横行している。
  • 男女共同参画より結婚応援ばかり・・・
  • 所感

    えりこ
    私たちがジェンダーイコールの活動を開始して、はじめてこのようなジェンダー問題の有識者が集まるシンポジウムに参加させていただきました。
    正確には数えていませんが、ざっと見た感じで参加人数は150名位で、男女比率は、女性9割、男性1割といったところでしょうか。
    私たちのような活動には基本同世代の30代には賛同してもらえそうだけど、もっと上の世代にはあまり良い印象を持ってもらえないんだろうなーと勝手なイメージを持っていましたが、この会に参加していた多くの方がその「上の世代」の方たちでした。
    こんなに多くの方が熱心にジェンダー問題に取り組まれていることを知り、とてもうれしく思いました。

    各議題では、ジェンダー研究の第一人者の先生方が講師となり、今政府が進めている数々の法案の中で「家族とジェンダー」に関わるものをピックアップして、概要と問題のポイントを説明してくださいました。
    私もそれぞれの諸問題についてはWEBニュースやツイッターなどで目にしたことはありましたが、きちんと向き合ったのは初めてだったのでとても貴重な機会でした。

    二宮先生の「家庭教育支援法案」、若尾先生の「自民党憲法改正草案」を通して感じたことは、今の政府は個人主義を否定して家父長制のような体制を良しと考えているのではないかという強い疑念です。
    安倍政権は女性の活躍を推進していますが、いつも上部だけで問題の本質を追求しようとしていないように見えていたのは、基本の思想に前述の考えがあるからだと思うととストンと胸に落ちます。
    ただ、この一片の情報を知っただけで短絡的に安倍政権を全力で敵視するのは本望ではないので、今後いろんな角度からこの諸問題について学び、総合的に危険性を判断していきたいと思いました。

    千田先生の「親子断絶防止法案」については、ほとんど知識がなかったのですが、
    ちょうどその日の朝、情報番組で、親権をめぐる裁判で”一審は年間100日の面会を提案した父親側が勝訴、二審は母親が逆転勝訴”となった事件が取り上げられていました。
    その中で「フレンドリーペアレントルール」についても詳しく説明されていたので、私にとってはホットな話題でした。
    共同親権についても一見聞こえは良いと思っていましたが、実は問題があることを知り、大変勉強になりました。

    斉藤先生の「官製婚活」は、地方の婚活支援の酷い現状を知り、同じ国民として恥ずかしくなりました。
    地方が少子化対策として婚活を支援したい気持ちはわかりますが、ここまで個人の尊重や性の平等を無視したセクハラ発言や個人情報のずさんな管理が横行しているなんて。。。国や地方自治体は早期に改善を図るべきだと思います。

    会の終了後、1人ご年配の女性にごあいさつをする機会があったのですが、お話しをする中でその方が夫婦別姓訴訟の原告である塚本協子さんであることがわかりました。
    私も選択的夫婦別姓制度については賛成の立場で、一昨年の最高裁の判決が注目されていた頃にニュースで塚本さんのことを知っていましたが、ご高齢にも関わらずこういった会に積極的に参加されて夫婦別姓を訴えられている姿に感銘を受けました。
    塚本さんの活動はジェンダーイコールでもどんどん応援していきたいと思います。

    最後に、冒頭でも書きましたが、このイベントはTwitterで本多由紀さんのツイートを見たのがきっかけです。
    ジェンダーイコールのTwitterは、この会のちょうど約1ヶ月前頃にスタートしたばかりです。このタイミングで始めていなければこのイベントの存在には気づかなかったでしょう。
    行動することでいろんな世界に出会えることを改めて感じました。これからもどんどん積極的にこのようなイベントに参加したり行動範囲を広げて、まだお会いしたことのない運命の方に出会えることを楽しみにしたいと思います。

    ゆみ
    私自身このようなシンポジウムに参加するのは初めてでとても楽しみに参加してきました。
    会場へ入ると教室の中はすでにいっぱい。空いている席がちらほらという状態で3人別々に着席しました。また見渡したときの男女比はやはり女性は多かったですが意外と男性が参加していたということと、ジェンダー活動に意外と集まるところには集まるのだなと安心したということを覚えています。

    話の内容は私にとっては意外と難しく知らないことばかりで、自分はまだまだだなと感じたので、これを機にもう少し勉強していかなくてはこの活動には付いていけないと実感しました。
    上記のまとめをは本当にわかりやすくまとめてありますので、「いまこのような活動に興味があるよ」という方には一度目を通していただけると、シンポジウムの内容がわかりやすいと思います。

    一番私が心に残った内容は比較的わかりやすかった『「官製婚活」について〜「家族」に介入する国家〜』です。なぜかと言いますと…婚活に国が介入しているなんて知らなかった!
    婚活よりもっと介入した方がいい問題があるような気がして、ばかばかしいという思いしかありませんでした。でも、場所によっては介入をしなくてはいけないほど深刻な場世があるのでしょうか?謎が深まるばかり。今後この問題はどうなっていくのかが気になるところです。

    くるみ
    隣組、婚活支援、家族のあり方についての介入など、戦前のような国民を作ろうとしているという安倍政権。私はこれまで特に身に降りかかる危険として認識してこなかったけど、ひとりひとりがきちんと問題意識を持たなければ、彼らの意のままに少しずつ国を変えられてしまうんだという怖さを感じました。家族、面会交流、婚活、今回のいずれのテーマにおいても、「結婚はいいこと」「親子の愛・家族の絆はあたりまえ」「子沢山バンザイ」的な、今の日本社会では結果的に女性を家庭に縛るような価値観がベースにあるのがとても気になりました。国的には、子供増やして欲しいっていうのがあるんだろうけど、、
    女は母親としてとか妻として生きて行くことに価値を見出せない場合、子供を産むと社会的な立場が低くなってしまうのは現状、あると個人的には思っています。そこを一律に「いいこと」とする基準を見直す、理想的には「本当にいいこと」とする社会設計が必要なのではないでしょうか。